黄昏デザイン研究所

 私は、労働組合内部の者として、組合運動について辛辣すぎる言動を吐くと思います。

 しかし、内部から耳障りの良い宣伝をしてもそのような言説には一文の価値も無いと思います。

 敵対する勢力の攻撃には実に真実を含んだ場合が多いのです。
今となって は数々の先達の犠牲を見るに唯頭を垂れるのみです。
羽衣は、薄い桃色の剣弁高芯咲きのつるバラです。枝は曲がりにくく高く立ち上がります。この写真は、地植え2mくらいの小さなアーチで南が梅の木に塞がれた場所ですがよく花がついています。

労働組合コンシェルジュ




2022年6月2日
 労働組合とは何でしょうか、労働者(雇われ人)が団結して雇用者の資本をもぎ取ることを目指しています。最終目標は、共産主義革命を起こす先兵となり、無産階級による独裁国家を作り、ゆくゆくはその国家をも解体し、完全に自由で平等な世界を作ることです。

 夢はなかなかかないませんが、現実的には、労働組合は個人で資本家に対抗するよりも若干法で守られているため、多少有効ないやがらせが可能であることが利点です。

 悪意を持って労働組合を評すれば以上のような書きぶりになるのですが、雇用環境の変化により叢生した現在の労働組合は、千差万別百鬼夜行玉石混交天使も悪魔もごったまぜです。労働組合を労働者の立場から選ぶコンサルタントが必要とされる所以です。

 この労働組合や各種民主運動については某女代議士(私にとっては端然とした姿に好意を持った呼称です。)の批判されることもごもっともなところもあるのですが、中には真実手弁当で誠意をもって活動している人もいます。ですが、誠意と行動へのピントは両立しているかどうか私には分かりません、善意をもって人々に迷惑をかけている場合もあるのです。
 
立場上これ以上は申し上げられませんが、過去のドイツからロシアで起きた革命が卑小なかたちで再生されていると思ってくれれば間違いありません。もっともらしい親切めかした名前に惑わされないように気を付けましょう。

 大政翼賛会宣伝部編の国民の歌にある、信時潔の作曲した「僕等の団結」は今でも各地の労働組合で歌いつがれています。音楽に罪はないとはいえ、同じ作曲家の「海ゆかば」がいかに名曲だとしても、今となっては、心穏やかに歌えません。私たちはもう少し矜持を持った活動を行わなければならないでしょう。

 では、労働組合とは本来どのようなものだったのでしょうか、労働組合は、建前上資本主義経済の国家にしか存在いたしません。資本主義とは、利益がすべての社会です。無駄を排して合理的に儲けるためには、弱肉強食修羅の巷が現れることもいといません。敗者は消え去るしかないのです。その代わり勝者には富と栄光が限りなく降り注ぎます。
 
 対するに共同社会的な社会も存在します。家族や友人達によって作られる共同と相互扶助が基調となっています。働けるものは沢山働き弱いものを助けます。必要以上に富む人もいなければ、貧苦のどん底に陥る人もいません。この、共同社会的な考え方を資本主義の中に持ち込もうとしたのが労働組合の始まりでした。なにしろ、弱いものが強いものに逆らうのですから先人たちは大変な苦労をしたはずです。

 それでもだんだんと資本主義の激しい力を徐々に緩めることができるようになってきたのです。現在は、労働者の楽園であったはずの共産主義国家が事実上ほぼ無くなったため、目指す社会が分からなくなり、混沌とした状況になっているように思います。

 それでも資本があまりにも理不尽な扱いを労働者に加えた場合には、我々は団結して抵抗しなければなりません。