黄昏デザイン研究所

易占い実例


2020年7月19日


占いの道具一式です。使うのは何年ぶりでしょうか。楽しいことで使用したことは一度も無いです。


7月8日のフェイスブックに近所の人の飼い猫ココが1週間ほど帰ってきません。との呼びかけをいたしましたが、その後彼は、帰ってきませんし、いくら探しても見つけることもできません。画像が無く張り紙も効果ありませんでした。

もうココがいなくなってから1カ月近く経ちます。

最後の手段で易占をします。
私の易占いは、未来のことも、未知のことも分かりません。眠っている自分の頭脳を起こすだけです。占いの基は易経という古代中国の民族の貯えた集団知とでもいうものです。この助けを借りて、自分の考えや行いに何か間違いがなかったかを探るのです。

今回の卦は、山天大畜です。大きな停止と蓄積の意味です。更に子牛に小さいうちに人を角で突かないようにカバーを被せる意味もあります。早い時点で手を打てば、大きな過ちはないとのことです。

今回の案件は、猫がいなくなって時間を経てから捜索の依頼が来ました。最初から手遅れだったのです。まず夜中でも直ぐに捜す。次に尋ね猫の広告する。次に保健所、清掃事務所、近所の管理人等周りをよく見ている人に尋ねる。それで何の手掛かりも無ければ、ココが15歳ということから、具合が悪くどこか静かなところに休んでいて動けなくなり篤志家に助けられている。又は交通事故に会って病院に連れていかれた。等考えられます。変質者に連れ去られることは極めて確率が低いです。
遺骸が発見できない限りは、生存しているものとしていつまでも探します。

何か見落としが無かったのかを易に尋ねたのに初動の失敗を教えられました。あとは天に祈り、雄猫特有の家出と信じて帰って来るのを待つしかありません。

後日談

易占いを行うと、精神を極度に集中するため、瞑想というか一種のトランス状態になります。したがって後遺症ともいうべき占いに関連した過去の記憶が次々と浮かび上がってくることがなかなか終わりません。ソラリスの海に迷い込んだようになるのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%99%BD%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%AB

記憶の底から浮かんできたことは、

1、1964年頃(昭和39年)私は小学校2年生でした、近所の材木屋の太い角材が積  んである下で猫が死んでいました。材木屋が取り出そうと思っても狭くて大人は入  れません、角材をどけるのは大変な手間となります。材木屋は、そこで見ていた私 に「子供なら入れるから取ってきてくれないか、お礼に500円上げる。」と言ったので す。500円は当時としては大金です、現在の5000円くらいでしょうか。そこから先の 記憶がはっきりしません。


2.同じ頃、猫の死骸(飼い猫ではない)を麻布の有栖川公園に埋めたことがあります。その時、禁漁の池で魚をすくってはいつも叱られていた怖い園丁になぜか許可を取りに行ったのです、きっと子供ながらに魚すくいより重大な違反と思ったのでしょう。猫を埋めるのをお願いすると、日頃の恐ろしい園丁が何故か親切に穴を掘って埋めるのを手伝ってくれました。そして大きな石を載せてくれたことを覚えています。

3.やはり同じ頃、近所の駄菓子屋の老婆が、「私が500円札で買い物をしたので、家から持ち出したのではないかと。」母親のところへ知らせに来ました。どう言い訳 したのかは覚えておりませんが、お金は没収されたことは覚えております。

4.やはり同じ頃、母と二人でバスに乗ったらお金が無い(二人分30円でした。)ことに気づきました。運転手が「後日でよい。」と言って乗せてくれました。その時運転席にある赤と青の電気で光るガラスのボタンを見ているとふといつかは皆死んでしまうと恐怖感に襲われました。この親切な運転手の名前は大場さんです。
 
 これらの記憶が深層から浮かんできました。子供時代、私は材木屋から500円を貰って猫の死骸を始末したことが推測できます。おそらく褒められたことではないことを子供心に察して自ら忘れるようにしてしまったのでしょう。
 人生の最初に賤しい行いをしたことは、早い時点の過ちです。困っている人からお金を貰ってはいけないのです。正直に母親に白状して材木屋にお金を返すべきであったのです。また、園丁の親切にお礼をしなければいけなかったのです。それを放置して晩年を迎えてしまったのは返す返すも残念なことです。
「4」のバスの逸話は、光る丸いガラスがついたり消えたりすることが、生死を連想したことと思います。バスの運転手の好意が慰めです。
精神の疲労が回復したらこれらの過ちにどのように対処すべきかまた占わなければなりません。