黄昏デザイン研究所

2020年5月27日開始




秋バラ シェヘラザード 花は小さくなりましたが、色は深く香りも奥行きがあります。
アウグスタ ルイーゼ
      AugustaLuise
花色  クリームアプリコットピンク地にピンク
花形  波状弁ロゼット咲き
花径  大輪
芳香  中香     ☆を
香質  ティーにフルーツ
開花  繰り返し咲き 
8号駄温西向き
名前と花が一致した素敵なバラです。

所長のブログ

最終更新日2024年4月7日


2024年4月7日


スーパー三徳早稲田店店先です。CGCブランドなどで知られていますが、本部が家の近くの新宿区大久保にあるため、仏教色の強い会社であることを感じていました。ただなんとなく嬉しい風景です。




2024年2月25日


古本屋の倉庫を整理していたら出てきた有名な石版画です。勿論後刷りのため貰ってきました。

ロートレックは、友人とボルドーに向かうため乗船した蒸気船チリ号で見かけた若い人妻に思いを寄せますが、特に仲良くなれたわけでも無く、何の進展も無いまま、54号室に泊まっている女性客だということだけしか分からないのにリスボンまでついて行ってしまったそうです。

このリトグラフは、一般に流通している「サロン・デ・サン」という展示会場の名前などの文字が入っておらずポスターになる前の作品です。

275枚のうち108枚目という意味の数字が左下に入っています。

煩悩の数と一致するのが老人には愉快でなりません。




2024年2月12日


早朝、庭に近所の一人暮らしの老婦人の飼い猫が来て、自分の後をついてきて欲しい様なそぶりを見せました。普段は、我が家の猫の桃太郎と仲が悪いため、あまり近くまでは寄ってこない来ないのですが、今日は私の近くで何かを訴えかけて招くのです。少し胸騒ぎがしたので直ぐに付いて行きました。婦人の家に行って呼んでみるとありがたいことに直ぐに返答がありました。ひったくりにあって怖くて外へ出られなかったそうでした。
そして婦人は、昨夜で猫の餌が無くなってしまいましたが、買いに行けないため、飼い猫にどうしたらよいか相談したのだそうです。それで、猫は以前より時々餌を貰っていた私の所に来たのでしょう。単に自分の餌が欲しいだけなら私から貰えば済むことなのにと思いながら、とりあえず桃太郎の餌の備蓄を半分差し上げました。他の日用品は、スーパーの配送を利用する様に手配しました。なおひったくりについては真偽不明のため調査中です。

飼い犬や飼い猫が、飼い主の異変を他人に知らせるなどということをよく聞きますが、本当に自分が経験するとは夢にも思いませんでした。世の中の景色が変わるほどの衝撃を受けました。




2024年1月26日


ヤマハのシンセサイザーの名機を頂きました。このDX7は1983年に発売され、24万円、重量20kgの民生用初めてのデジタル方式のものです。
外装はくたびれておりますが、電子機械部分はきちんと手入れされております。普通のキーボードと異なるのは、アンプもスピーカーも付いていないことです。

この度初めて弾いてみて音の生々しさに驚きました。集積回路から出来立ての電子音を直接聞くのですから当然なのでしょうが、ガレージバンドなど、現在の出来合いの打ち込み音源とは異なる、高品質の音響回路が素晴らしいのです。これならば楽音として曲造りの呼び水になることも理解できます。
これがYMOの音だったのかと思うと懐かしいかぎりです。今まで録音を聞いてる限りでは、この魅力は全く分かりませんでした。





2024年1月16日


"西洋草花"印東熊兒著、出版者 服部書店 出版年月 明治41年9月21日  

現北区滝乃川の康楽園主人の著書です。我が国初めての西洋観賞植物の育て方などが記されており、園丁のバイブルと賞されました。

現在でも十分参考になります。

なお、国会図書館デジタルコレクションで全文ダウンロード可能です。再版の方がカラーで良いと思います。
康楽園には、古川力作が勤務していたことで有名です。




2024年1月5日


中国の友人から、ドリアを食べるかと聞かれたので、面妖なことではあるが、ピザの仲間のドリアだと思い、うべなったところ、持って来たのはドリアンでした。

噂には聞いても食べるのは初めてで、近所の人10人ほど集めて切ったところ、皆閉口して食べられません。味はバナナのような熱帯の香りがする滋養豊かそうな果肉ですが、香りがいけませんでした。半分ほど食べて、残りは近所のベトナムの若者たちに差し上げたところ、大喜びで食べるのでした。

種を試しに育てていますが、見る見るうちに成長しています。






2023年12月31日


今年の年越しラジオ放送は、なんとバイロイト音楽祭のパルシファルです。テレビが無いので舞台の様子が分からないのは幸いです。しかし、思い切った放送を企画したNHKには感謝いたします。是非ともラジオ聴取料を復活してください。喜んで払います。これで少しは世の中が良い方向に向かえば幸いです。


画像は前奏曲です。




2023年12月25日


平出 修(ひらいで しゅう、1878年〈明治11年〉4月3日 - 1914年〈大正3年〉3月17日)は、日本の小説家・作家・歌人・弁護士。幸徳事件(大逆事件)で弁護人を務めた。この経緯については、友人の石川啄木の全集に詳しく記載されている。


1965年から1981年にかけて著作全集が建て増し式に刊行され、2015年に第4巻が追加された。


今では無くなった大逆罪についての当事者達の様子が興味深い。刑罰が死刑しかないので弁護も大変だったようだ。他に外患誘致罪という死刑しか無い犯罪が今でも法律にあるが、適応されたことが無い。また、これらの犯罪の場合、一気に政権を奪取してしまえば、罪に問われることは無く、かえって賞賛されることになるのが面白い。



2023年12月19日


現在の日本の国歌は、「君が代」です。作曲は明治時代、歌詞は古今集に由来するものですが、敗戦後時流に合わなくなったため、別な国歌に差し替えようと候補に上がった曲が「われら愛す」でした。他に「緑の山河」というのも有力候補でした。また、「海ゆかば」というのも膾炙されていましたが、あまりに戦災の思い出が生々しいため支持を得ませんでした。これは歌曲としては最も優れているように思いましたが、歌詞に難がありいけませんでした。

もし、いま国歌を制定するならば「花巻農学校精神歌」を押します。

https://www2.iwate-ed.jp/hka-h/img/seishin-ka1.mp3




2023年12月15日


 フランスを中心として、世界の花の受容について文学等文化的な歴史的推移を含めて一般向けに書かれた本です。この新書版の文庫クセジュ叢書は定評のあるもので、著者のギヨーと薔薇の栽培会社ギヨーとの関係は分かりません。フランス哲学を学んだ該博な串田孫一の訳で、1964年日本初版です。

 フランスを中心として、アジアはインドまでアメリカ大陸は、メキシコとブラジル辺りまでが述べられております。日本については、椿と百合が言及されているだけです。ヨーロッパ人の世界観が自ずから理解できます。




2023年10月29日


昭和3年民友社刊の徳富蘇峰著、「好書品題」の慈雲尊者全集についての書評です。

(慈雲飲光は、1718年8月24日(享保3年7月28日) - 1805年1月22日(文化元年12月22日))は江戸時代後期の真言宗の僧侶。戒律を重視し「正法律」(真言律)を提唱した。雲伝神道の開祖。能書家としても知られる。法諱は飲光(おんこう)

以上Wikipediaより引用。


以下の本文で悉曇に「しつどん」とルビが振ってありますが、正しくは「しったん」です。サンスクリット語の発音についての意味なのですが、試しに昭和初期の国語辞典を引いてみましたが、「しつどん」という読みはありませんでした。この本を出版した民友社とは、蘇峰自らが設立したものです。過去日本では、第一に漢語、次に梵語(サンスクリット語)が重要視されたこと、現在の英語とラテン語に比較するとよいのかもしれません。その出版社がなぜこのような大切な難しくもない語彙の読みを間違えたのか不思議でなりません。




2023年10月29日


桃太郎の20歳の誕生日会です。20年前に放浪の末家に住み付いてから20年ですから、20歳と半年くらいの年齢でしょうか、人間でいえば90歳は越している様子です。いつまで共に居られるのかと思うと何とも言えない気持ちになりますが、いずれは自分も黄泉に向かうので、先に行って場所を取っておいてと頼むこの頃です。




2023年10月10日


 スギナの苗をメルカリで買いました。都心部では、このようなどこにでもあるような雑草でさえ簡単には入手できません。スギナと土筆(ツクシ)は、同地下茎から生えるシダ植物ですが、日当たりの悪い場所では土筆はなかなか生えてきません。土筆が食べたいのと、スギナ茶が飲みたいため、プランターに植えて日当たりの良い場所で育てることにしました。スギナは猛烈な繁殖力の雑草と万病に効く薬草としての二つの顔を持つ植物ですが、春の七草に選ばれた(スズナの間違いでした、大変失礼いたしました。)美しさも併せ持っています。





2023年9月10日


遺品整理で出てきたのですが、現在では購入者が見込めないため地金の値段で取引されると思います。昔は、どこにでもあった標準型のマッチとそのケースです。ブラジルのeberle という銀食器メーカーのもので、多分テーブルの上に置いてタバコの火だねにしたのでしょう。
 上のマッチ箱は、今でも売っているものです。下の古いブラジルのマッチ箱と同じ寸法なのが面白いです。





2023年9月6日

 

エクアドルのバラフリーダムは標高2800-3000Mの高地で栽培されております。花屋で扱うのは、切り花用品種なのですが、園芸用とさしたる違いはありません。家庭で栽培するための苗が手に入りにくいというだけです。必要ならば挿し木で増やすことは可能です。




2023年8月20日


終活で身の回りの整理をしていたら出てきました。小学生の頃、学研の〇年の化学という雑誌を学校でまとめて買って希望者に有償で配っていたことがありました。付録に釣られて買っていたのですが、今となって思えば、欲しくても買えない子供もいたことでしょう。

箱に美少女の写真がありますが、全く記憶がありませんまだ食べることの方が興味があったのです。しかし、同級生の女子たちはどう思ったのでしょうか。また、モデルの少女は今では60歳を超えてるはずです。幸福に生活しているのでしょうか。色々と思いが巡ります。




2023年7月6日


昭和50年頃、タキイ種苗が出版した本の広告です。この写真の女性が原節子とよく似ています。彼女は大正9年生まれで昭和38年に総ての活動から引退しているから、他人の空似でしょうが変に気になります。





2023年6月24日


庭を掘っていたら出てきました。50年ほど昔、高校生の頃、多摩川河川敷で野球の練習をしていた時、自動販売機でお金を入れるといくらでもジュースの瓶が出てくるやり方を見つけて散々盗んだのがこれです。その後犯行が露見して、頭を丸めてお詫びに行ったり、竹刀で先生にぶたれて数日寝ていたりしましたが、弁償をした覚えがありません。きっと先生が払ってくれたのでしょう。




2023年5月30日


昨年庭の梅の木の巣で生まれたピー子の子供がそろそろ巣立ちそうです。一人前になると親は縄張りを子供に渡して何処かへ行くようです。懐いた鳩がいなくなってしまうのは寂しいのですけれど、子供を代わりに残していってくれます。
年年歳歳花相似たり

歳歳年年人同じからず




2023年4月24日


 胡蝶蘭は、ただでさえ高価なのに販売するときは、3株以上集めて天人の群舞の様に華やかにします。しかしほんの少しでも衰えの兆候が見えたら売らずに廃棄してしまうのです。写真では分かりにくいですが、花の一部が少し汚れたようになっています。天人五衰でいう「衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服(羽衣)が埃と垢で汚れて油染みる」のようなものでしょうか。この胡蝶蘭は、知人の老夫婦の家で花の終わりを全うした上で、手慣れた者が再生の為手を入れることになりました。六道輪廻から抜け出して永遠の生命を受けたのです。




2023年4月22日


昭和43年に刊行された丸山明宏氏の自伝「紫の履歴書」です。序を記した三島由紀夫氏の「豊穣の海」4部作第1作「春の雪」刊行が昭和43年、自刃が昭和45年ですから、後世再刊された本には意味がありません。この大光社の昭和43年刊が必要なのです。このに本はたまたま丸山氏のサインが入っておりました。隈本祐喜子さん宛てで、昭和43年10月11日、自己署名のように見えます。
ファンに書くサインにしては丁寧なのに加え、どこか良寛さんを思わせる禅味のある良い書に見えます。




2023年4月17日


三島由紀夫の「豊穣の海」4部作「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の初版の装丁です。とても素敵なものですが、今では値段が付かずに捨てられてしまっています。古本屋で店主とその時中学生だったとか高校生だったとかとりとめもない会話をしました。三島由紀サインや識語は偽物が出回っているので要注意です。




2023年4月7日


疾風は太平洋戦争中の陸軍戦闘機の中で最も優れた性能だったそうです。この大日本帝国陸軍四式戦闘機が、最後の飛行を行ったのが昭和48年10月航空自衛隊入間基地でした。




2023年4月4日


光緒29年(1903)東三省鉄路図です。現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省です。当時の清国発行で漢露対照表付です。デルスウザーラの生きた頃でしょう。この後日露戦争講和後に満州鉄道と遼東半島の権利を日本が得ることになります。












2023年4月2日


90年ほど前の書類の束から出てきた写真らしきものです。120×165oのカビネ版ブロマイド用紙に肉筆サイン入りなのですが、上半分が切り取ったようになっています。

この断髪モガ風の女性はいったい誰なのでしょう。



2023年3月25日


20年ほど前に公表された有名な漫画ゴルゴ13:第350話『沖縄シンドローム』は、琉球王国の独立運動をする自衛隊員の話でしたが、この琉球民族独立総合研究学会は、現実に続いている運動です。琉球が先に独立した方がいいような気がしないでもありません。



2023年3月23日


今年の産卵第一回準備。下から女男男の順番です。庭中子カエルだらけになりますが、翌年まで生き残るのはほんの少しです。




2023年3月20日


シースルードレス。




2023年3月16日


今頃の季節になると、古今集の紀貫之の和歌を思い出します。写真は寸松庵色紙とバラ植え替え2か月後の我が家です。子供の頃鳳仙花の種を撒いたりしていましたが、それから60年、同じようなことをしています。春は幾度もめぐってきて年だけが取っていくのです。緑は毎年季節に従って色鮮やかになって行きます。心躍ると共に無常観を感じるのです。


つらゆき

  わがせこが ころもはるさめ ふることに、のべのみどりぞ いろまさりける


徒良由支

  和可世己可 己呂毛波留左免 不留己止仁、能部乃美止利所 以呂末左利个類






2023年3月13日


近所の友人が家を引き払うため、猫が飼えなくなりました。育ててくれる方を探しています。幸(コウ)雄と幸(サチ)雌5歳の兄弟です。東京都新宿区大久保2丁目です。室内飼いです。tasogare@kumazawa.tokyo又はk.kumazawakenzi@gmail.com 熊澤建治までお願いします。











2023年3月11日


40年間探し続けた本が手に入りました。200円でした。著者の永島与八は、若い頃田中正造の助手になって働いた人です。最後はキリスト教に帰依したそうです。




2023年3月4日


佐伯俊男、1945〜2019年画家。1986年に新宿「東京ギャラリー」で個展を開きましたが客はまばらでした。協賛の古書店は相当な損害を被りました。しかし、目の付け所は正しかったのです。資金が続かなかったのでした。最近では画集や肉筆画はほとんど見かけません。




2023年2月24日

不要となった高張提灯を友人より頂いたので、手持ちの火袋を失った小田原提灯に移殖しました。形態はおかしなものになりましたが、実用は差し支えないです。なお、戦後我が家で使用した形跡はありませんが、火袋の造作は現代では到底及ばないほど精緻なものでした。




2023年2月20日


古本屋の百円均一本から拾いだしました。押川春浪は、大正3年に38歳で夭折した海洋活劇作家です。フランスで建造された帝国海軍巡洋艦畝傍が、1886年(明治19年)日本に回航される途中、同年12月上旬にシンガポール出発後、消息不明となり、その喪失したはずの艦が、10数年後日露戦争前夜の東京湾に忽然と現れる話です。畝傍のことはかねてより関心がありましたが、春浪はデュマが好きだったそうですので、沈んだはずのファラオン号帰港の面目躍如たるものでした。




2023年2月16日


藤田嗣治の新宿区百人町に明治末期に造られた最初のアトリエの所在地についてです。「東京市及び接続郡部地籍地図」(大正元年11月発行)に準拠した現在地への同定が各位によって行われておりますが、決定的な場所は分かっておりません。原本をたまたま所有しており、尚且つ近所に居住していることに加え、地図を扱う仕事をしていた偶然が重なったため、当時の荏原郡大久保村の総てを調べたところ、現在の地形と建築物を目当てにおよその目星が付きましたのでお知らせいたします。総武線大久保駅より、南へ徒歩2分、日本電子専門学校から春山記念病院に向かう路地に面した200坪ほどの土地です。現在は立て込んでおりますが、どことはなしに当時の田園風景を想像することもできます。


地籍地図です。真ん中が、藤田のアトリエです。現在の総武線大久保駅南口より線路沿いに100mほど南方に行った場所です。支線は淀橋浄水場行の専用のもので、現在はありません。



右の路地が支線の跡で、左の高架が総武線です。この部分だけ少し線路の敷地が広かった形跡が見られます。



先程の写真の右の道を50mほど行った春山記念病院の前から総武線の高架の方角を見たものです。左手辺りに藤田のアトリエがあったはずです。

蛇足ですが、この春山記念病院の先代は、新宿戦争の時に医師として大活躍したとの伝説が地元では残っております。



直ぐ近くにある東京媽祖廟という道教寺院です。

2023年2月10日


大正15年刊行の「寶寿」内館泰三著です。この写真の方は、著者の祖母の内館ナツ、天保7年生90歳です。

当時大正天皇成婚25年記念の為北海道内高齢者の調査を行った結果に記載された写真です。調査時の道内90歳以上の高齢者414人、そのうち100歳以上は4人でした。

その中で北海道で出生した人は、55人。就業者も66人いました。江戸時代に生まれて当時医療も社会福祉もほとんど無い酷寒の地でよくぞここまで頑張ったと頭が下がります。
この書籍は国会図書館デジタルコレクションで登録者は誰でも無料で閲覧可能です。




2023年1月29日


ゴミの分別講習会を行った際に近所のベトナムの若者が捨てた皿です。近所のリサイクルショップで50円で買ったそうです。100円ショップの半額ということで人気がありますが、これは戦後間もない日本製の業務用の皿で、釉薬に鉛が含まれているため、現在では使用禁止になっています。同様に古九谷や古伊万里も色絵の赤は危険ですから、食品用に使うときは注意が必要です。しかし何とも懐かしい出前の皿です。








2023年1月23日


1980年頃にテレビで放映されたアニメーションドラマ「赤毛のアン」は未だに人気がありますが、主題歌などの挿入歌を現代音楽の作曲家の三善晃が作曲していたことを初めて知りました。今聞いてみても立派な曲で安易なアニメソングとは一線を画します。三善晃はピアノソナタも作曲しており、当時テレビを見ていた少女の多くが、きっと今では楽しく弾いていることと思います。




2023年1月21日


藤原定家以来の和歌の家として知られる冷泉家の第23代当主で、昭和19年に中国で戦死した冷泉為臣伯爵の出版した影印本です。戦没時の詳細は不明ですが、33歳の華族の当主を危険な場所に置いた経緯が分かりません。

旧久留米藩主有馬頼義伯爵は、戦後推理作家として名を成しましたが、「普通は華族等枢要の家系のものは招集されても危険な前戦などには置くことはない。」と言っていました。

昔近所にいた明治元勲の曾孫は、戦争中に招集されても大本営で連絡員をしていたそうで、一般東京市民よりはるかに安全でした。

「紅旗征戎、吾が事に非ず」と記した定家と不運な戦死をした子孫に思いを致し暢気に本を読んでおります。





2023年1月17日


坂本善三。1982年、パリの国際現代アートフェア「FIAC」で掲示された、リトグラフポスター「位相」です。恐らくオリジナルでしょう。




2023年1月16日


清瀬 保二1900年 - 1981年。民族性の豊かな作曲家であり、独学であったそうです。弟子に武満徹がいました。代表作は日本祭礼舞曲、レクイエム無名戦士の他多くの室内楽曲及び歌曲があります。

清瀬保二の歌曲集を手に入れたところ、中に土の歌抄というプロレタリア歌人中村孝助詩の農民の歌がありまた。特に「疲れたと」という曲は農耕馬を家族の様にいたわる尊いものですが、音源が手に入りにくいのが難点です。

内田るり子 [歌]ジネット・ヌヴー協会ジャポン, [1999]

幸い伴奏ともども易しいので歌ってみて下さい。清瀬保二と中村孝助は、昭和23年の初演時に初めて面会し、詩人のお土産の牛乳で乾杯したそうです。




2023年1月15日


広報新宿令和5年1月15日号 第2415号より薬物乱用防止ポスターの入選作品です。新宿区内の中学生筋野さんの作品が優秀作品として選ばれました。

怪しい注射は止めましょうということでしょうか。




2023年1月13日


怪しげなことをしていないで、まっとうに働きなさいとの声が挙がったので、形は揃えました。

昔見た「明治大帝と乃木将軍」1959年大蔵映画で、乃木大将が年老いた人力車夫の体を気遣って、「息子はいないのか」と尋ねると「日露の戦で愚かな乃木将軍の為に戦死したため、年老いてこのような家業をしている」と答えたため、車夫の家を訪れて息子の位牌に参り、多額の香典を供えるというシーンを思い出しました。

私がウーバーイーツを行うと、老残を憐れんだ客と同様なことが起きる可能性がありますが、仏壇に年下の霊は、猫が二柱だけですから過分な香典は頂けないためやはり止めることにしました。




2023年1月8日


かりんのジャムを作りました。かりんの実はとても固く苦いため、食用には向いておりませんが、整腸,鎮咳去痰作用の薬として古くから用いられています。

今回は無農薬かりんの実5個計700gと白砂糖400gで作りました。作業時間は2時間ほどかかりました。最終的には以下の状態になります。渋みを抜くには、一晩置く、ペクチンは、別に皮と種から煮出すなどコツがあります。

昨年の艦船模型の展示会の写真を頂いたので併せて掲載いたします。英国戦艦の尾部と年老いた私が写っております。






2023年1月5日


風巻景次郎は、1902年〈明治35年〉 - 1960年〈昭和35年〉の中世文学専門の国文学者で、岩波文庫の「中世文学の伝統」は現在でも広く読まれています。

この度入手した「古事記傳」は、本居宣長の古事記の逐次校訂解説を更に解説したものです。内容はともかく昭和16年刊の文庫本であるのにもかかわらず、栞紐(しおりひも)が正絹製でした。人絹にしてはいやに光沢があるため、試しに端を燃やしてみて分かったのです。戦争中に古事記の本だから改造社が、絹をおごったのかもしれません。

「聞けわだつみの声」に戦没学徒が、風巻景次郎の学問的態度を批判しているくだりがあり、何を指しているのかがよく分かりませんでしたが、古代日本を総天然色でよみがえらせたような浪漫的な学風が、出陣する身の気持ちにそぐわなかったのかもしれないと思いました。

明治以降、新政府の権威づけのためか怪しげな漢語が流行し、太平洋戦争時にそれが頂点に達し、敗戦後は、漢語の地位を英語に譲り、今度は怪しげな英語が流行する様になりました。もはや古事記は化石になったのかもしれません。そうはいっても、帰ることのない遠くへの旅には、やまと言葉の方が似つかわしい様に思います。

やまと言葉は、現在に至るまで時の権力者によって宣伝の中で捻じ曲げられて汚され続けています。時々本居宣長が流行るのは、自然なアンチテーゼかもしれません。



2023年1月3日


お正月のラジオ放送は、普段はあまり無い伝統邦楽であるところの雅楽や能楽、浄瑠璃などの有名な曲で縁起の良い出し物がかかります。本日浄瑠璃の「近頃河原の達引(ちかごろ かわらのたてひき)の四条河原の段・堀川猿廻しの段が聞こえて来て驚きました。

あらすじは、裕福な商人井筒屋の息子伝兵衛は祇園の遊女お俊と身請けの話もまとまっていましたが、お俊に横恋慕する侍・横淵官左衛門が、伝兵衛から金三百両を奪い取ったため喧嘩沙汰となり、伝兵衛は官左衛門を斬り、お尋ね者になってしまいます。お俊は祇園の店から母と猿廻しで生活を支える兄の与次郎が暮らしている堀川の実家に預けられていましたが、そこへ伝兵衛がそっと訪ねて来ます。与次郎は、伝兵衛が来たら渡す手筈になっていた妹に書かせた別れの手紙を伝兵衛に差し出しますが、それは別れの手紙でなく、母や兄に自害の覚悟を知らせる、お俊の書き置きだったのです。しかし伝兵衛は、お俊を巻き添えにするつもりはなく、母や兄と暮らして欲しいと頼むと、お俊は「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん・・・」、あなたが苦しんで死のうとしている時に、それを見捨てる・・・。私がそんなに薄情な女と思っているのですかと訴え、そのお俊の真実の心を知った母と兄は、お俊と伝兵衛が一緒に出て行くことを許します。このあと二人が心中する別れを兄の与次郎は、めでたい猿回しで見送ります。


という物語なのです。お正月向きの演目では無いと思うのですが、ラジオ放送の解説で更に、昔はこのお俊の有名なクドキ「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」を誰もが心得ていたので、よく使われたものだ等と言っておりました。確かに昭和30年代の老人が柔らかに半畳を打つ(言い返す)場合などに使われていました。これは、お俊と伝兵衛の心が互いに分かっていないと話は通じないで喧嘩になってしまいます。日本は自殺大国でありますが、心中ということは少なくなっているように思います。おそらく世情においても憧れを持つ人は少ないでしょう。自ら選ぶ積極的な死生観についてなにか大きな変化があるように思います。



2023年1月1日


新年を寿ぎ皆さまの永遠の幸をお祈り申し上げます。
本年もテレビジョンによる最新ホットニュースをお届けすべく、桃太郎ともども粉骨砕身働く所存であります。






2022年12月30日


空焚きで穴の開いた寸胴鍋を拾い屋さんから買いました。重量4キロですので800円ですが、ご祝儀込み1000円払いました。もし、ナポレオンの時代ならば、1億円はくだらないはずです。何か使えそうですが、今のところひらめきません。しかし溶けるまで加熱してよく火事にならなかったものだと感心しております。





2022年12月26日


新宿区戸山1丁目と2丁目の境にある穴を塞いだ跡です。近所の人の話によれば60年くらい前は、木の扉で塞いだだけで、洞窟の中には種々のホルマリン漬けの標本が入っていたそうです。戦前は軍医学校があった場所です。

昭和11年刊の玉林晴郎の「文身百姿」によれば、当時東京帝国大学が人体標本の見世物を行っていて、その中に高橋傳の文身(入れ墨)といわれるものがあったそうです。彼女の標本製作者は後の軍医学校校長の原桂仙でしたため、現在国立国際医療センターにあるのではないかと噂される入れ墨の標本は、東京大学にある可能性があります。

この度、昭和2年刊の梅原北明著の「高橋お傳記事集成」を手に入れたところ、高橋傳に入れ墨のあったことに触れた記事はありませんでした。入れ墨の標本は珍しいものではないですし、帝国大学が怪しい興業を行うとも思えないため結局真偽は藪の中です。

近所の人からその時持ち出した標本瓶のみを貰いましたが、先の地震で壊れてしまいました。

なお、このような場所にはウィルスや細菌の胞子がある場合があるので、土を掘り返すのは危険だそうです。(和気朗 国立感染症研究所名誉所員)





2022年12月22日


ビートルズの1966年来日時の写真展及び当時を知る方々による演奏会に行ってまいりました。音楽については不案内のためよく分かりませんでしたが、1960年から70年くらいまでの演奏会で頻発した若い女性の失神が、ビートルズの来日公演などのロック系の演奏会でなぜ起こったのか、曲を聞く限りでは想像できませんでした。おそらく踊念仏などでトランス状態に陥ることと似ているように思います。




2022年12月19日


「 Comitato di Base 」一般に底辺委員会と訳されます。1960年代のイタリアで労働組合の闘争手段として、山猫ストライキ(労働組合指導部の許可無く職場単位でストライキを行うこと)が頻発した時の行動主体して記憶されています。その職場で最も基幹的労働を行う人々の代表者からなる組織が、主体的に経営権に対して実力行使を持って働きかける運動でありました。
現在では、内容はともかく言葉と実態が大きく齟齬していることが興味深いです。日本語では「底辺」という言葉は侮蔑語であり、「委員会」は、選良の語義があります。「山猫」については、最近いい方向に受け取られているように思います。「ストライキ」は、人によって評価が異なることですので何ともいえません。

「底辺委員会の山猫スト」と言われた場合、ほとんど意味不明でしょうし、解説者によって全く異なる情報になります。

世の中で耳目にとらえられる多くの情報は、これと似たようなものであることが恐ろしいです。


 


2022年12月17日


若い友人より頂いた自転車の修理をしました。ロードバイクと呼ばれる、速度を重視した造りですが、入門用で強度が十分でないため、重要な部分が完全に壊れており、通常は廃棄するのですが、面白そうなので手持ちの部品を用いて、クロスバイクといわれるMTBとあいのこのような自転車に作り変えました。今回は、老人用クロスバイクとして、ハンドルを長めの一文字にして、後輪ギヤをMTBと取り換え、フロントディレイラーを撤去し、小型のギヤ1丁にしました。これによりトップギヤがママチャリ2速くらいになりましたが、急坂に強い軽い自転車になりました。知らない人には、若者向けクロスバイクのように見えるため、見栄っ張りの老人には最適です。




2022年12月15日


先日ラジオ放送を聞いていますと、ジロー・ヤマオカさんの歌う「リトルボーイ」という曲が流れてきました、ギター弾き語りのブルース風なのですが、歌詞は、供出した馬への鎮魂歌でした。前大戦では、軍馬となって出征した馬が復員した話は聞いたことがありません。兼ねがね可哀そうに思っておりましたが、若い世代の人が同じことを思い、歌まで作ってくれたとは、驚くと共にとても有難く思いました。


愛馬読本




2022年12月13日


シャルトルーズ ドゥ パルム(Chartreuse de Parme)

フランスで20年ほど前に作出されたバラです。名前はスタンダールの小説「パルムの僧院」からとられているのと思いますが、原作の主人公は利発活発な名門貴族の美青年で、最後は政争に巻き込まれて若くして亡くなってしまうので、どうしてバラに例えたのかは分かりません。

 バラは園芸趣味として西洋では大層流行っていて、日本でいうところの椿のように、何千種類もの園芸品種が名前を付けられて愛玩されていますが、通常は女性の名前が付けられていることが多いようです。




2022年12月8日


50年ぶりに横浜市山手に行ってきました。昔の田舎の面影は無く、よく整備された郊外住宅地になっていたのですが、観光振興の一助として古い洋館を移築して集めたため租界のような様相になり、特に英国系教会が多いのには驚きました。

路線バスが「赤い靴」の童謡を鳴らせながら走っていて、子供が転びバテレンにでもさらわれるのではないかと心配になりました。





2022年12月3日


1923年4月5日、東京府豊多摩郡戸塚町字源兵衛231番地(又は1121番地の説があるが詳細不明。現東京都新宿区西早稲田3丁目17番地)の暁民社(会)事務所で日本共産青年同盟が結成されました。しかし、同年9月1日の関東大震災後、亀戸事件により壊滅的な打撃を受けました。来年で100周年となるため、地元では場所の同定に奔走していますが、いまだはっきりしたことが分かりません。
恐らく都電荒川線面影橋駅南側あたりではないかと考えられています。写真の右の上り坂が示す通り、100年前は神田川に沿った湿地帯ではないかと思います。

なお、正面の建物は愛国製茶本社です。4月には桜の名所であるここで特売を行い大変な賑わいとなります。




2022年11月28日


新宿区戸山ガーデニングサポーターの会では来年春より新宿区戸山シニア活動館の花壇を使用してガーデニングの実践を行うため、花壇の土壌改良をしております。千古不鉞の花壇には、沢山の瓦礫が埋まっていて、20平方メートル深さ50pから1トンを超える瓦礫が出てきました。

今回一緒に出てきた香水の小瓶と、小鉢の破片を紹介します。

ソーダガラス製の小瓶は、夾雑物や制作技術から、昭和期前半のものと思われます。また小鉢も同様の製作にみえます。直径12pほどと考えられる浅鉢で、プルシアンブルーの龍の図柄が手書きで書かれております。共に過去いかなる人が使っていたのかあれこれと想像を巡らせるのも楽しいものです。




2022年11月6日


第26回ミンダナオ会展示会

『イギリス連邦の艦船』のお知らせ


ミンダナオ会展示会私ども艦船模型サークル「ミンダナオ会」が下記の日程で模型展示会を 行います。

9月8日、エリザベス二世が崩御されました。女王は英国の君主であったと同時にイギリス連邦(Commonwealth of Nations)の長でもありましたが、 その座は新国王チャールズ三世に引き継がれます。56か国から構成される同連邦は、 ウエストミンスター憲章により1931年に正式に発足し、今も国連に次ぐ規模の国家間連携組織となっています。

構成各国の規模や政治形態は様々で、その海軍にもバラエティに富む艦船が在籍しています。 今回の展示では1931年以降にイギリス連邦に所属した各国艦船をテーマに縮尺700分の1の洋上模型を中心とした各種模型によりご紹介します。

入場は無料です。 艦船模型ファンの皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。


開催日程:

2022年11月5日(土)10時〜18時まで

2022年11月6日(日)10時〜17時まで

開催場所: 中央区立月島社会教育会館 晴海分館 アートはるみ ギャラリーB


上記催しにいってきました。
模型は盆栽のようなもので、太古の巨樹を掌中のものと見立てて楽しむものです。


戦艦とは、過去には国家の独立と覇権を守る礎だったのです。そのためか、民族、国家により特徴的な造形がその姿に投影されるようです。それを実物を見ることが、難しいため、このように模型によって3次元的に把握できるのはとても有難いことだと思っております。


兵器に余計な意匠装飾はないはずなのに、最後の写真の日本の戦艦と英国の艦船のデザインの違いが、どのようにして生じたのか分かりません。
日本人の制作する人工物には総てこの血を曳いているように思います。









2022年10月19日


schlafというロックの3人のグループに 名穂さんというフルート奏者がいるので珍しいことだと思っておりましたが、この度同schlafのギターの黒田洋俊さんが、昨年11月に脳梗塞により45歳で亡くなっていたことを知りました。珍しいことが二つ重なるのは不思議な気持ちになるものです。




2022年10月17日


はじめの写真は椿の山採りと言って、椿の切り株のブロックを丸ごと挿し木のようにして新芽を出させる方法です。盆栽マニアや業者が良く行うそうですが、実際に行ったのは生まれて初めてです。次は「小公女」生まれて初めて読みました。






2022年10月11日


ハロウィンが近づいてきて過ぎ去った青春を懐かしみます。

本日のロスアンゼルスの和食レストランです。







2022年10月9日


都市迷彩のライフルスコープを頂きました。良い光学系ですので美術館などで使えそうです。ふと「По ту сторону」という映画を思い出しました。今ではYouTubeで簡単に見ることができますが、50年前は16oフィルムを映写機に掛けるしかありませんでした。しかしあの日本語字幕はどこに行ってしまったのでしょう。また、スコープにサバゲーではあまり使わない模様をなぜ施したのか謎です。




2022年10月4日


全くの偶然で別な方面からピストと呼ばれる、敏速に走ることに特化した自転車を2台貰いました。いわゆる競輪に使用される車体にブレーキを付けたもので、軽量化を追及して変速機なども無く、最も効率的に人力を回転運動に換えることができます。老人の乗るような自転車でないので欲しいとも思わなかったのですが、修理して乗ってみて驚きました。モーターの無い電動自転車でした。これが原因でお陀仏になるかもしれないと思っています。イタリアのビアンキとアメリカのFUJIというメーカーの市価10万円くらいの入門モデルですが、通常の自転車の重量の半分しかありません。






2022年9月30日


三叉路の角には魔物が巣くうと言われますが、ここには不法投棄や覗きのたむろなど、困ったことが良く起きました。この度、地先園芸の一環として、植物の力を借りて環境浄化をしてみようと思いました。左より八つ手、斑入りゴム、広葉オリヅルランという往年の人気植物が最後のご奉公に参加致しました。






2022年9月24日


秧鷄は飛ばずに全路を歩いて來るの続編です。(長文ですよ、なお小鳩は少し飛べるようになりました。)

私は「全路」という言葉が面白かったので少し調べてみました。


雁と秧鶏の逸話はチェーホフの書簡からの借用であることは既に伊東静雄の言により間違いのないことで、昭和四(1929)年改造社刊の内山賢次訳『チエホフ書簡集』の「1888年3月6日プレスチューイェフ宛」から引用しているとのことです。


「恐ろしく寒い。然し憐れな小鳥たちは既にロシアに向かって飛んで来る! 小鳥たちは郷愁と祖国の愛に駆られて来るのです。

幾百万の小鳥が故郷を恋ひ慕うて生贄となり、幾らかの小鳥が途中で凍死し、

どんな苦悶を彼等が三月及び四月上旬に故郷に帰着するために耐へ忍ぶのかを詩人が知つたら、彼等は疾くにその讃歌を詠つたでせうに!……飛ばないで全路を歩いて来る秧鶏や、凍死を免れるため人間に身を委ねる雁の身になって御覧なさい……何とこの世の生活といふものは辛いものでせう!」


内山賢次は、洛陽堂 から 大正10(1921)年に「チエホフの手紙」を刊行しており、これは再刊となるため多少の違いがありますが、本書の前書きにもあるとおり、英語から重訳したもので「全路」とは、内山賢次が訳出したものです。ロシア語と英語の対応する語彙を調べればよいのですが、それはまともな論文に任せるとして、ちょっとした工夫で、この日本語として落ち着かない「全路」という言葉を詩語にした詩人の力量には本当に感嘆いたします。


伊東静雄の詩は以下のとおりです。


 秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る


秧鶏のゆく道の上に

匂ひのいい朝風は要(い)らない

レース雲もいらない


霧がためらつてゐるので

厨房(くりや)のやうに温(ぬ)くいことが知れた

栗の矮林を宿にした夜は

反落葉(そりおちば)にたまつた美しい露を

秧鶏はね酒にして呑んでしまふ


波のとほい 白つぽい湖辺で

そ処(こ)がいかにもアツト・ホームな雁と

道づれになるのを秧鶏は好かない

強ひるやうに哀れげな昔語は

ちぐはぐな相槌できくのは骨折れるので


まもなく秧鶏は僕の庭にくるだらう

そして この伝記作者を残して

来るときのやうに去るだらう









2022年9月22日


秧鶏(くいな)は飛ばずに全路を歩いてくる

朝見たら、はとの子供が巣から落ちていませんでした。昼過ぎにのんきに庭を歩いていたので捕まえて巣に戻したところ、親が見ていてすぐに餌を与えていました。

前に挙げたことばは、チェホフが出典ですが、私は伊東静雄の詩を思い出しました。






2022年9月13日


 鳩の雛が二羽孵化しました。どのように世話をするのかと検索したら駆除ばかりヒットします。私が子供の頃は鳩を飼っている友人が沢山おりました。

 すぐそばに雀の餌台があります。登れないはずなのにネズミが一匹いつもいて困っていたのでしたが、いつの間にかいなくなってしまいました。

 








2022年9月6日


ノートパソコンが二重画像になるといって近所の人から相談されました。ネットで調べてみると液晶の故障として添付画像のようなものが見つかりました。当方の場合も、外部モニターに出力すると正常な画像になりますが、自宅に運び込むと、背景とマザーボードの画像が正常になり、ブラウザのみが二重画像です。液晶の故障でもウィルス感染でも無く接触不良と思われましたが、念のためOSのクリーンインストールをして、ローカルアカウントで初期設定しました。素人判断なので何とも言えませんが、液晶のカプラーの不良ではないかと思っています。分解して接点回復剤塗布で治ると思うのですが、分解をするくらいなら画面を取り替えても同じ手間なので悩むところです。ウィルス感染かどうかも分かりません。一般にはCPUの発熱で合成樹脂から可塑剤が蒸発して、カプラーの接点に蒸着して導通を阻害することが多いです、当該機はWindows7のアップグレードなのでまだまだ故障は生ずるでしょう。




2022年9月5日


梅の木の膏薬病をはがしてるうちに、鳩が産卵しているのを見つけました。雀の餌を食べているうちに慣れてしまったのでしょう、猫が行かないうまい場所に巣を作っていました。本当は餌付けはいけないのですが、なぜかお店で野鳥の餌や鳩の餌を売っているのも不思議です。




2022年8月28日


友人がフルートを欲しいとのことで相談を受けました。中古で千円、新品1万円からということで答えましたが、予算が200万円前後ということで、急遽専門店に同行することになりました。手頃なものとしてブランネン・ブラザーズの中古14Kモデルが250万円でありましたが、とても使いこなせそうもないので、明日町内の高橋管楽器に相談に行くことにしました。最近予想と異なる金額を提示される案件が多いようです。




2022年8月20日


昭和37年の頃、高校生に配られた林間学校等で使用するポケット歌集を頂きました。その中に入ってた歌を紹介いたします。

「山の大尉](IL TESTAMENTO DEL CAPITANO)は、原詩から察するにイタリアの愛国歌で、山岳兵の指揮官の大尉の遺言のようです。そのために、この歌集では、山の歌の仲間にされたのかなと思いました。

また、歌声運動でよく歌われていたのは、山岳パルチザンの歌だったのかもしれません。

私の僅かな登山と歌声運動経験の中で一度も耳にした覚えはありません。楽譜も添付していないので、当時は一般の高校生が普通に歌えた歌なのでしょう。しかし訳詞によれば、祖国への赤誠溢るる凄惨なもので、物見遊山や酒席の場で歌うような楽曲ではありません。日本でいえば、「海ゆかば」のような歌でしょうか。

よい曲だと思うのですが、どうして日本で廃れてしまったのかは分かりません。


なお、「山岳兵」とは、山岳民族から徴兵された部隊のようです。イタリアで言えば旧サルディーニャあたりでしょうか、「皇帝」は、原詩では、「祖国」となっており、なぜこのような訳を与えたのか不明です。


1 山の大尉は傷ついた

  部下の山岳兵達に

  「もう一度ここで逢いたい」と

  息絶え絶えにことづけた

2 山岳兵はことづけた

  「靴が無いので歩けない」

  「靴を履いても履かんでも

  山岳兵に逢いたい」と

3 陽はさし昇る山の朝

  山岳兵は訪れた

  「大尉殿何の命令です

  われらはここに着きました」

4 「私の体を五つに

  切ることを命じます

  初めのそれは皇帝へ

  部下の兵士の記念にと」

5 「第二のそれは連隊に

  大尉であった記念にと

  第三のそれはわが母に

  息子の兵の思い出に」

6 「第四のそれは愛人へ

  わが初恋の思い出に

  最後のそれは山々へ

  バラで山をおおうため」


 Il testamento del capitano


1. Il capitano de la compagnia

   e l'e ferito e sta per morir,

   e manda a dire ai suoi alpini

   perche lo vengano a ritrovar.

2. I suoi alpini ghe manda a dire

  che non han scarpe per camminar...

  O con le scarpe, o senza scarpe,

  i miei alpini li voglio qua!

3. Cosa comanda, sior capitano?

  che noi adesso semo arriva.

  Ed io comando che il mio corpo

  in cinque pezzi sia taglia.

4. Il primo pezzo alla mia Patria,

  secondo pezzo al battaglion.

  Il terzo pezzo alla mia mamma,

  che si ricordi del suo figlio alpin.

5. Il quarto pezzo alla mia bella,

  che si ricordi del suo primo amor.

  L'ultimo pezzo alle montagne,

  che lo fioriscano di rose e fio






2022年8月17日


このストーンヘッジのような石碑は、香川県高松市牟礼コミュニティセンターにあります。本物は米国ジョージア州にあり1979年に建立されたとのことですが、本年7月6日に何者かによって爆破されました。碑面には、薔薇十字教団の戒語のようなものが、8か国語で刻まれておりました。中でも世界人口を5億人にするというところが、陰謀認定されて何かと話題になっておりましたが、今ではもうこれしか残っておりません。

日本の人口は何もしなくとも300年後には500万人くらいの奈良時代並になるでしょうから無理な陰謀などいらないように思います。やがて万葉集の時代が戻って来るのでしょうか。




2022年8月06日


                   ああ大和にしあらましかば---薄田泣菫

          

          ああ、大和にしあらましかば、

          今神無月、

          うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、

          あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、

          斑鳩(いかるが)へ。平群(へぐり)のおほ野高草の

          黄金の海とゆらゆる日、

          塵居の窓のうは白み日ざしの淡(あは)に、

          いにし代の珍(うづ)の御経(みきょう)の黄金文字、

          百済(くだら)緒琴に、斎ひ瓮(いほひべ)に、彩画(だみえ)の壁に

          見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのたたずまひ、

          常花(とこばな)かざす芸の宮、斎殿(いみどの)深に、

          焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折(やしおおり)

          美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、

          さこそは酔はめ。


この詩を読むとグラズノフ作曲 バレー音楽「四季より秋」を連想します。

あと2か月足らずで10月が来たのに。




               

2022年8月05日



奥にある大きな顕微鏡は、パール光学のレンズ芯出し顕微鏡です。これが昭和時代に製作された普通の大きさで重量10sくらいです。

手前のが、この度頂いたメーカー不詳の戦前の物らしい顕微鏡です。重量は500gで250倍と書いてあります。特段問題なく使えますが、回転式の対物レンズ交換器もなく学生用の安価なものらしいです。

新旧どちらも鉄と銅とガラスのみで出来た機械です。このまま捨てても環境を害することはあまりないでしょう。

100年くらい前に造られたものは皆そうでした、私たちがレトロなどと言って懐古趣味に走るのは、現代の工業製品が持つ訳の分からない禍々しさを本能的に感じるからではないかと思います。







2022年8月03日


増塩梅干しを作りました。塩分35%です。真夏の肉体労働にはこれに限ります。20%では塩分を感じません。増塩は、減塩の反対の方法で行いました。本来は1升の梅に3升の塩、ヘタを取らずに漬けます。これにより塩の浸透圧のみでうまみを梅酢に逃がしません。更にカビも細菌も生息不能の為100年以上の常温保存に堪えるはずです。来年はこの室町明治レシピで当時の梅干しの味を再現してみます。



2022年7月29日


恒例の梅干しを行いました。今年は梅が豊作のためか、梅の水分が多く繊維分が少ない感じです。私の伝統的な塩分20%は、市販のものと比べてかなり塩辛いようです。今回近所のご婦人と梅干しを少し交換しました。それは塩分10%で干しが甘く梅漬けというような味でしたが、口当たりが良くなかなかよろしいものでした。





2022年7月21日


庭木としてどこにでもあるツバキやサザンカには、今の季節チャドクガといわれる恐ろしい害虫が発生します。それを恐れて庭のツバキの木を掘り取って捨ててくれと近所の人から頼まれました。

掘ってみると、樹齢50年くらいの幹を根際から伐採した切り株のひこばえが育った特異な形をしていました。盆栽の台木として使えそうなので株を成形して、桐生砂と鹿沼土で素焼き鉢に植えました。

根鉢に鉢のかけらが食い込んでいるので、植木鉢ごと庭に植えこんで、そのまま根が成長して植木鉢を破壊したことが分かります。破片から推測するところ、8号(直径24p)の少し高級な素焼き鉢です。最初に植えこんだのは、40年くらい前なのではないかと思います。台木がサザンカでツバキを接ぎ木したような根でした。












2022年7月14日



スリランカがデフォルトになったそうです。写真はまだセイロンと言われていた頃、1957年発行の5ルピー銀貨です。釈迦生誕2500年記念だそうです。テーラー銀貨と言ってイギリス5シリング貨と同じ大きさ品質(純銀25g程度)の世界標準のものです。スリランカは、インドの中では仏教徒の割合が大変多い地域です。英国の植民地化も少し遅れていたようですが、1853年のマルクスの「イギリスのインド支配の将来の結果」という通信の際には全土制圧されておりました。西洋文明の偽善性と野蛮性に危惧を抱いていた論文から170年後、まだ植民地化の後遺症に苦しんでいる同じ仏教徒が心配でなりません。明日は我が身でなければよいのですが。






2022年7月7日


今日は七夕です。涼しいので道で石工をしていました。来日したばかりのベトナムの女性が短冊をくれました。当地にもあるそうです。韓国にも七夕はあるそうですが、日本とは随分と違います。中国も同じです。以上はみな旧暦ですから今日ではありません。最後にアメリカ人が、七夕はなぜ8月にもあるのかと聞いてきましたが、以上のことを全部教えてあげました。日本だけの風習だと思っていたようです。コロナ禍で失業してしまい、郊外に引っ越して「チキン」を飼うと言っていました。その「チキン」とは何だと聞いたら「バード」だと言います。今日は、日本人と一人も話しませんでした。




2022年7月4日


久しぶりに熱中症になったようなので、その経緯を紹介します。

7月1日 屋外で半日ブリキ細工。金ばさみ使用。

7月2日 屋外で半日看板修理。帰途頭痛と疲労感。

7月3日 頭痛が少し残ったが、全身にあせものような発疹が見られた。但しかゆみなどは無い。左右の手がむくんだような違和感がある。腰などの痛みを感じる時がある。体温36.5度。添付写真にある梅干の露とアロエを飲んで終日寝る。

7月4日  ほぼ平常に近くまで回復したが、左右の手は少し違和感が残る。

インフルエンザの初期症状と似ているのでコロナと混同されると思われるが、原因がはっきりしているため熱中症と判断した。水分補給に気を取られて塩分を忘れたのが失敗だった。

この梅干の露はとても貴重なもので、病気の時以外服用しない。効能など全く不明、言い伝えで使用している。重度の場合は医者に行くべきと思う。




2022年7月1日


今日も暑いから入浴シーンをお届けします。

友人がアパートを売ってしまい、店子の立ち退きについて相談に来ました。買い受けた人か代理人の弁護士が行うことなのですが、高齢者が多いので店子に加勢するということで談判決裂しました。直ぐに店子の組織化と地方議員と弁護士を交えて対策本部を作り対応することにしました。相手が不動産業者なので面倒なアンペイドワークです。




2022年6月28日


ドメインの更新料が高騰しているので驚きました。この○○○○tokyoというドメインの取得料金は、数年前88円で、更新料も年間88円だったため10年分払い込んだ記憶があります。現在では様々な理由で年間1628円です。ドメインは個人の場合名前のローマ字表記にするのが普通ですのでkumazawaで取得でき、尚且つ悪いイメージの無いtokyoにしました。ドメインはメールにも使用されるため、サイト名や氏名及び目的と乖離すると疑われる原因となります。これから取得する方は十分に調べた上で取得してください。怪しいドメインが分かると通常のマルウェアなどの攻撃は回避できそうですが、エモテットはそうはいかないため、添付ファイルやリンクを開く必要がある場合は、メール送信者に直に電話等で確認した方がいいと思います。





2022年6月26日


5月の末より新規WEBサイトを作成しておりましたが、グーグルの認証が手間取りなかなか一般公開に至りませんでした。

本日やっと部分的に認証されたようです。2年前に別なWEBサイトを作成した時は簡単に公開できたのですが、近年グーグルの認証が厳しくなっているようです。

恐らくは人工知能自動作成ブログやコピー等内容の薄いものが跋扈しているためと管見ではありますが思っております。今後ますます弱小新規サイトの開設は面倒になると思いますので、志ある方は早めにUpしておいた方がいいと思います。

なお、SNS上では、新規アドレスのリンクから即座に認識されておりました。もしかするとサブドメインではなくディレクトリから作成した方が良いかななどとも思いますが、商用はそうもいかないため悩むところです。




2022年6月16日


近所に中国人用?のパーティ、ゲーム、推理ゲーム、麻雀、飲酒を楽しめる店が開店しました。中国人の中年婦人に聞いたら悪い店だと言われ、若者に聞いたら普通の店で日本人には分からないと言われました。何か知ってることがあればお教え願います。






2022年6月11日


梅干製作を始めました。南高梅2L10sに塩2.2s、35%の焼酎2合。最近は保存瓶で行っています。今まで重しに適当なものが無く困っておりましたが、ピクルスの700mlの瓶に硬貨等金属片(金銀銅のみ)を詰めて蓋をすると5sほどになり丁度良いです。蓋にラップを長めに挟み、取り出せるようにしておかないといけません。二つの8L瓶は、梅4s塩分18%で、4L瓶は、梅2s塩分30%で漬けます。梅酢が上がったら4L瓶を半分にしてそれぞれ8L瓶に入れます。塩分の最低ラインは18%です。梅が少ない場合は22%以上にしないとカビが生えて失敗します。また去年の梅酢をいつでも投入できるように用意しておけばなお結構です。近所数軒で同時に行い非常事態に備える事をお勧めいたします。

塩分15%の減塩梅干しを付けたい方は完熟南高梅3L10s以上をホーロー等の容器に入れて、15s以上の重しで一気に漬け込まないといけません。事前にすべてを焼酎で消毒しないと失敗します。




2022年6月7日


ご近所から青梅を2.3s頂きました。古城のような品種でLサイズのためジャムを作りました。へたを取って3回水を変えて70度くらいであく抜きした後、種を取ってフードプロセッサーで撹拌し、重量1.5sとなり、その重さの70%の精白糖を4回に分けて加え1時間ほど焦がさないように弱火で艶が出るまで煮込みました。1.8Lほどの梅ジャムができました。待ったなしの作業が3時間続くので梅干しよりも疲れます。プリミティヴな味です。次に南高梅2Lサイズ10sの梅干しが待っています。






2022年6月2日


友人から携帯ティッシュペーパーを沢山貰いました。花屋は女性客が多いだろうから置いて欲しいとのことでしたが、女性専用のイケメンセラピストサロンというので少々ためらっております。近所のホストに聞いたところ、ホストより採用基準が高いそうです。なるほど広告の顔を見ると理知的風貌の素敵な若者です。これで墨東奇譚を男女逆にしたようなドラマが生まれるのでしょうか。老人用メンズセラピストサロンを作って私も雇って欲しいといったら、老人も若者を好むからだめと断られました。




2022年5月30日


ここ2週間ほど柿の落果が激しく、大半が落ちてしまいました。5月に落果することはあまり聞いたことがないのですが、思い当たることが無いので受粉しなかったのかなと考えております。トンデモ理論によれば、植物は予知能力があるので、身の危険にさらされた時に、実を落として生命力の温存を図り、ひこばえが出やすくするという解析も可能です。




2022年5月21日


古本屋から絵画の処分を頼まれました。秋山令一、熊谷守一、上村松園、伊東深水、奥村土牛、草間彌生です。秋山令一のみ本人から手に入れているので間違いないのですが、他は真贋不明です。市場には、間違った場合の恥を考えると出せないそうです。値段が付きそうなのが皆状態が悪い上に怪しいのでは売りようがありません。なんとも困っています。














2022年5月19日


20年くらい前のリズム時計製の機械式鳩時計を貰いました。ラチェットの爪の固着のため鳩が鳴きませんでした。

直して聞いてみるとタンギングをしないリコーダーのような音で、ファ♯とラ(短三度)の繰り返しです。カッコウの鳴き声に似ていますが、カッコウは普通はファとラ(長三度)です。ミとラ(完全四度)の曲もあるくらいですから、半音の音程の差はカッコウの鳴き声の模倣に含まれると考え、他の鳩時計の音を聞いてみようと思いました。これらは雰囲気がまるで違うはずです。

しかし申し分なく素晴らしい音です。第三の男の鳩時計のセリフを考え直さねばならないくらいの驚きでした。




2022年5月14日


「聖三稜玻璃」1915(大正4年)

純銀もざいく 風景 山村暮鳥

いちめんのなのはないちめんのなのはな と続いていく有名な詩なのですが、このような出会いをするとは思いませんでした。ろくろを切った手書き染付のめし茶碗で最近のもののようです。




2022年5月8日


久しぶりに古本屋に行って売れそうもない本を貰ってきました。山本茂著の高山書店昭和16年刊行「石楠花」随筆集です。著者については旧制七高から東京帝国大学に行ったらしいこと、大礼服の記述から高等文官であったらしいこと、読書歴から明治20年代の生まれであることが推察できます。無名と言えます。本の中に日露戦争中に父親の友人が夢で小鳥になって帰って来たことを知らされるくだりがあります。亡くなった人が帰って来るのは、雨月物語の「菊花の契り」や小泉八雲の「蠅のはなし」にもありました。私も祖母がみまかった際に同様な経験をいたしました。この山本茂は、謹厳な人格らしくオカルト趣味で記したものとは思えません。何か人知を超えたものがあるとしか思えないのです。




2022年5月6日


ゴミを寄せ集めたらウィンドウズ11がインストールできました。7時間かかりました。10より少し反応が遅いのですが、そのうち何とかなるでしょう。左の雑誌は友人がくれた攻略本で全くの初心者にお勧めです。HDDが危ないみたいで早くクローンを作らないとならないでしょう。hpは2年で壊れますが(3台連続)皆HDDです。




2022年5月3日


猫の散歩の付き添い中、近所の人から電源が入らないとのことで修理依頼。全部で90s、持ってくるだけでも大変。SPはCORAL X-VIIで40年前、CDはDENONDCD-1630Gで30年前、アンプはONKYO Integra A-925で20年前の製造、総額40万円くらいの中級モデル。修理はしたけど全く保証できないと答えたら処分してほしいと言われたため頂きました。この値段なのに物量で押してくる物凄い音。かえって弦楽四重奏などが素晴らしかった。これ今作ったら100万円ではできないでしょう。しかしかさ張るしどうしよう。




2022年4月30日


近所の引っ越しするお宅が、更地にしてしまうからと、アロエベラを掘り取ってきました。掘っているうちに回りの木々から「私たちも連れて行って下さい。」との声が聞こえてきました。「アロエは育てて食べてしまうし、どのみち私も後から行くから。」と言って帰ってきました。








2022年4月27日


 工具箱から出てきましたが、しばらく何か分かりませんでした。鉄道改札の切符切りです。昔は、現在の自動改札の場所に一人ずつ駅員が並んで切符を切り続けていたのです。決して単純作業ではなく鉄道員としてあらゆる場合にも対処できる訓練を受けた人達です。ホームにも車両にも鉄道員は沢山いました。何かあれば直ぐに頼れたのでした。




2022年4月25日


 中古パソコンについて覚書です。HP(ヒューレット・パッカード)の2014年 14-g108AUです。当時3万円くらいのものでした。Windows8‐1を10にアップグレードしておりますが、500GB HDDがなぜか110GBしかありません。電池も死んでいます。更にキーボードが不能です。水を掛けた物件だと思います。実売500〜1000円くらいでしょうか。

 次はNECのGN18HQRDFです。2019年エントリーモデルですが、落下物件です。時々画面が不本意に切り替わりますが、HDDエラーチェックでは異常ありません。SSDに交換すれば使えそうですが、落下の傷が目立って商品価値は落ちます。換装の手間を考えると、私ならジャンクで1000円で売るか、HDDのみ健全なドナーを探してニコイチにしますが、本当に他に破損がないかは分かりません。

 面白いことに前の所有者のフェイスブックのアカウントが残っており、今でも生きています。彼女はどうなったのでしょう。

 これらは、質屋の質流れ品の検品です。質屋はこれで1万円程貸しているので1万円以上で売れないと困るのですが、時々このようにプロが騙されることがあるのです。










2022年4月20日


日野 草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)俳人。

「ホトトギス」で学んだ後、「旗艦」を創刊、女性のエロスを主題とした句や無季俳句を作り、昭和初期の新興俳句運動を主導。戦後は「青玄」を創刊・主宰し一転して静謐な句を作った。

 私は「御民われ初空に日の御旗揚ぐ」で記憶しておりました。有名俳人と言えます。

 古本屋で20円で売られており購入して読みましたが、やはり刊行当時の版ですと感慨ひとしおでした。上記ウィキペディアの解説よりもはるかに素晴らしい作品群でした。しかし、どうして古書がここまで値崩れしたのか分かりません。特に漢籍和歌俳句関係は、市場に出さずに廃棄しています。

 昭和13年で1円80銭、目の子算で実質現在で3000円くらいでしょうか。





2022年4月17日


近所の人から20年前のデジカメを貰いました。当時は10万円以上したらしいので、捨てるのが勿体なく思ってゴミ屋敷主人に献呈したのでしょう。

 ソフトウェアとメモリーカードが無いため少々面倒でしたが、桃太郎の写真を撮ってパソコンに取り込むことができました。今でも現在のスマホの倍くらいの性能を保っているのはさすがです。レンズが大きいため撮影には余裕があります。また、操作が昔のカメラと同じなところも老人には嬉しいです。

 しかし、今回の場合実用十分な性能を持つデジカメの存在を擁護する言葉が思いつきません、だからと言って捨てるわけにもいかず困っています。物の老人問題のようで身につまされます。






2022年4月14日


近所の方が、戸建てからマンションに引っ越しをするためピアノを処分しようとしましたが、古いため業者が引き取ってくれないそうです。

 昭和37年製のようですが、メカニズムは問題ありません。カワイのK8、当時のアップライトピアノの最高機種です。2本ペダルですが、アップライトの場合は何の問題もありません。使用している木材が、現在のものよりはるかに良質のため、褒めるところは沢山あってきりがありません。

 この写真は玄関脇控室にあるものですが、もう一台奥様の寝室用にもう少し古いピアノがあります。

 いわゆるカワイトーンという奥行のある深い音色が最も輝いていた時期の製品です。

 私も欲しいのですが、すでに2台あるため諦めました。戦後すぐのものと平成初期のカワイピアノで、共通した音質です、一番使用が多い中心部は、平成グランドピアノよりこのK8の方が心に響く音です。但しヤマハやスタインウェイに比べるとタッチは重いです。

 取りに来ていただければ無料で差し上げます。2台お持ちになって並べると非常に便利に使えます。場所は新宿区大久保です。

 壊して廃棄するのは忍びないのでよろしくお願いいたします。塗装が漆かもしれません。




2022年4月10日


昨日近所の80翁から物置にあったけれど、何だか分からないから要らないかと言われました。私は土方と百姓の経験があるため体の一部のような感覚ですが、老翁がつるはしとくわを知らないことに驚きました。思えば新宿大久保で生まれて育てば、必要のない道具です。私は知識が偏っているため、人付き合いにはとても苦労しておりましたが、これはいよいよ人生が詰まってきたようです。




2022年4月2日


2か月ほど前に移植した寒緋桜です。誤って主根を切ったため蕾の1%ほどが何とか咲きました。葉芽は、10%くらいが生存しているようです。生き残るため無駄を総て切り捨てていく必死の思いが伝わってきます。植物も自分と同じ生命体であることをひしひしと感じます。




2022年3月26日


宮沢賢治名作選、松田甚次郎 編、 羽田書店; 昭和16年刊行を入手いたしました。奥付の上に検印がみられます。昔は著者が印鑑を押すのが儀式でした。著作権者は宮澤賢治ですが、この時は既に亡くなっていたので自ら押すわけはありません。しかし、注意書きに印章は著者自刻遺愛のものとあります。すると賢治の手ずから彫った印章の実際の印影ということになります。独特な価値のあるものと言えましょう。


 また、挿入写真に昭和9年に賢治の妹トシが教鞭を採っていた花巻高等女学校の生徒が上演した「 注文の多い料理店」がありました。この時はすでにトシは夭折していました。昭和飢饉で東北は大変だった頃でしょう、薄倖な兄弟でしたのでよけいに感慨深いものがあります。


 小学生の頃賢治に惹かれてとうとう60年近く経ってしまいました。


 





2022年3月21日


新大久保にヨンイルサという韓国のリサイクル店があり、CDやLPが100円のためたまに覗くのです。これはカセットテープのライナーノーツです。中国の古典楽器は、近代化されているため日本と異なり西洋風な響きがします。それでも十分に古い中国に思いをめぐらすことができます。韓国のパンソリなどにも言えますが、元はひとつの民族であったのではないかと想像することもあります。ことにニ泉英月は、名演でした。実況録音とのことです。




2022年3月17日


オートバイの車検のため練馬陸運局まで行ってきました。この車は今年で丁度30年めになります。事故も故障もなく有難いことだと思います。趣味ではなく、実用本位に使うのには少し大きいのですが、歳を取って来ると、これが取り回せなくなったら自動車も運転できないという良い目安になると思い置いてあります。

 オートバイの良いところは、人を轢くことがまずないことです。また、事故を起こした場合大抵自分がやられることです。ですから、豆腐に乗ったようにいつもびくびくしています。それでもたまに運転すると若い頃を思い出して少し感傷的な気持ちになったりします。







2022年3月12日


ラナンキュラス、きんぽうげ、ウマノアシガタとも言います。宿根草で根に毒性があります。銀座の花のクマサワで仕入れすぎてしまったので貰ってきました。花屋はこぎれいな仕事に見えますが、仕入れた花の半分は、売れ残って捨てることになります。生命の蕩尽を続ける因果な商売であります。人も動植物もすべて生命に違いはありません。どうにかならないものかと考えていますが、未だによい考えがありません。




2022年3月6日


樹齢70年の梅の木が、ここ数年調子が悪く花が激減しているため、枝の腐朽部分を取り除いたところ、地際から2mくらいまで木の芯が腐って無くなってしまいました。パイプのような幹と枝です。手の施しようもないので、とりあえずこのまま様子を見ようと思います。






2022年3月4日


桃太郎が、近所の猫の暴行を受けて大怪我をしました。近所で一番弱いため2年に一度くらいこのような病衣を着る羽目になります。獣医に診てもらうついでに身体検査をしましたが、老化のため危険域に入っていた各種数値が皆正常になっていました。

貧血を直すため先月から鉄瓶の沸かし冷ましを飲ませたためかもしれません。

ちなみに、猫の貧血は鉄不足ではなく腎臓の老化だと獣医は言っていました。不思議なことですが、他に生活で変えたことはありません。




 2022年2月25日


 捨てられた植物たちです。拾って育てているのですが、すっかり大きくなってしまいました。ここは新宿ですから貰い手は少ないです。入用な方には差し上げますからよろしくお願いします。




2022年2月23日


My Favorite Things

 初めは、パチスロのメダル4千枚です。66歳の友人から頂きました。これでギャンブルは止めるそうです。1週間ほどは続きましたが、現在は再開しております。ギャンブルに使ったお金はこれまで1億円を越えるそうです。しかしそれだけの喜びがあったはずですので無駄とはいえません。

 これが金貨だと40kg3億円くらいするでしょうか。映画などに出てくる金貨の詰まった大箱は、数トンの重量となるでしょうからさぞ取り回しが大変だったろうなどとあれこれ空想するのに使えます。


 次は、仕込み杖です。80歳の女友達から使わないからということで頂きました。祖父が満洲から持ち帰ったそうです。刀身は鍛え上げた鋼ですが、刃は無く突くことしかできません。銃刀法上微妙なところですが、いずれ杖として使えないわけではありません。


 次はイングランド製のおまるです。友人のホームレスが、食器ということで持ち込んできました。焼きがあまいので500円で買いましたが、変に大きいので調べたところ用途が分かったため、いずれは使うかもしれませんから保存しておきます。


 最後は、霊感商法で販売された大理石の骨壺です。100万円前後で販売されていたようです。品質はよいのですが、2万円くらいが妥当なところでしょうか。近所のリサイクルショップから何だか分からないということで教えたところ、店に置けないということでいただきました。骨壺は美術品以外中古品は流通していないので総てが新古品となります。通常の壺との差異は、蓋に4か所の紐のかかる切込みがあることです。本体は通常の壺と変わりません。水がおいしくなるので水差しに使えますし、いずれは本来の利用法も可能です。










2022年2月20日


 子供の頃から使っている銅合金製の文鎮です。裏に三笠保存會 □材との刻印があります。字体から戦前のものと思われます。未読字は、ヤフオク等から艦材ということが分かりました。


 三笠とは、日露戦争の勝敗を決した際の連合艦隊旗艦です。横須賀に実艦が保存されていて見学することができます。

 今でも5月27日の海軍記念日には、艦上で盛大な記念祭が行われています。


 この戦艦の意義については私などが口をさしはさむことはできませんが、日清戦争の旗艦松島の見学を許された小泉八雲の「明治二八(一八九五)年の五月五日(日曜)の条に、『凱旋する兵士をセツ、一雄とともに見物する』」とある文章が、日本人の感情を代弁しているように思います。


 



2022年2月18日


 15年ほど前に植えた寒緋桜の移植をいたしました。昨年掘り取ろうとした所、根回しの必要を感じて一年伸ばしになったのです。

 とても一人ではできないため、助っ人の平手造酒氏に指導してもらったため1時間強で終わりました。


 反省点

 根を切断後、ジャッキで引き抜いたが、昨年切断したはずの主幹の下の真下 に新根が発生していた可能性があることを忘れていた。刃物で切断して消毒すべきであった。

 平手氏より、切断した根の断面にトップジンを塗布することを奨められたが、発根を阻害すると思い、木酢原液で消毒するにとどめた。挿し木ではないので長持ちするトップジンの方が良かったのではないかと思われた。


 「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。」が身にしみて感じました。平手氏には無料のご奉仕心よりお礼申し上げます。










2022年2月12日


 金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、大和、武蔵。前大戦時の日本が保有していた戦艦の艦名です。建艦順で12隻ありますので、表題にして平均律曲集ができます。外見の印象から金剛は大正2年建造時はハ長調でしたが、昭和19年最後の改装時はハ短調の顔になっています。大和は昭和の建艦ですから最初から悲し気に見え、終始変ロ短調です。


 貧しい国家でこの12隻を揃えて維持したのはどれほどの苦労があったのか察するにあまりありますが、乗り組んで若くして海底に眠るか、建艦販売して富貴長寿を得るか、人の運命は分からないものです。




2022年2月7日


 南部鉄器の石焼鍋です。30年ほど前に近所の方に頂いて毎日のように使っています。中にソラマメ大の小石があります。主にパンを温めるのに使っていますが、もちろん芋や野菜の調理、料理の温めなおしなどにも使います。なにしろ味が数段上の状態となるのが素晴らしいです。但し調理時間は電子レンジの10倍から100倍くらいかかります。それでも我が家は電子レンジを全く使わなくなりました。

 一見パチものの様に見えますが、これほど優れた調理器具はありません。小型天火ともいえます。

 鉄器は、古いものほど良いようです。理由は分かりませんが、出来れば古道具屋などで買うのがよいかもしれません。




2022年2月5日


バラの植え替えがほぼ終了いたしました。今年はコロナの為助っ人も来ずに老人にはつらい作業でした。新宿の日当たりの悪い場所で20年も続いていますが、毎年出来が変わることが不思議です。




2022年1月15日


怖そうな人だったのですが、見方を改めました。




2022年1月12日


 1980年前後にTVCMで、マーラー の「大地の歌」の青春についての楽章の音楽を用いて、中国の神仙思想風なアニメーションをあしらった巧みなものがありました。今見ても立派な出来だと思います。

  

 YouTubeで検索してみてください、見ることができます。サントリー ウイスキー ローヤル - ♪ マーラー 「大地の歌」

https://www.youtube.com/watch?v=3-h_kaEnNKg

 

 Hans Bethge(1876-1946)のドイツ語訳?で当初原詩は、李白の詩ということでしたが、二転三転し、結局李白らしいが、よく分からないということで現在は落ち着いています。

 詩の意味は、以下の通りで、李白的な世界と言えましょう。


 小さな池のまん中に,緑と白の陶器でできた東屋が建っている。

 虎の背中のように湾曲したヒスイの橋でそこへ行ける。

 この東屋には友人たちが座り、美しく着飾り、酒を飲み、

 詩を書き談笑している。

 彼らの絹の袖は後ろに滑り捲くれ、

 絹の帽子は首筋深くにおかしげに乗っている。

 小さな池の静かな水面に、すべてのものが鏡像のように奇妙に映っている。

 半月のように、逆さの湾曲した橋の曲線が輝いている。

 友人たちは、美しく着飾り、詩を書き談笑している。

 、

 青春の喜びがつかの間のものという無常観を表しているようで、劉希夷の「代悲白頭翁」を思い出しますが、老人になった今では、未だ覚めず池塘春草の夢です。


以下は、ハンス・べトゲの「中国の不思議な笛」の挿絵です(1951年版ですが内容は初版と変わりません)。



2022年1月11日


定期健診で桃太郎の貧血が分かりました。本日より飲み水を鉄瓶で沸かし冷ましにして様子を見ようと思います。歳を取ると考えられない故障が起きます。

 朽ちかけた鉄瓶に「 墨妙蘭不俗蘭香墨 吏精」と彫ってあります。今まで気が付きませんでした。蘭と石を基調にした南画の賛のようです。





2022年1月10日


現代中国の遊印です。美しく豊かな自然と人々の幸福を永久に願う意でしょうか。人と山の篆書が素晴らしい象形文字です。

 現在人民という言葉には社会主義的な響きがありますが、元々は、「孟子曰、諸侯之寶三、土地・人民・政事、寶珠玉者殃必及身」(諸侯の宝は三つある。大地・人々・政治である、財宝を尊ぶ統治者には、必ず不幸が身に及ぶ。)にあるようにその土地に生活している人々を表す言葉だと思います。

 漢字文化圏に生まれてよかったと思いました。




2022年1月9日


 『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)は、坂本龍馬を主人公にした坂崎紫瀾の伝記小説です。1883年(明治16年)に刊行されました。現在は岩波文庫にもあり、有名となりましたが、この本は初版当時の復刻本です。後の時代小説にある時代背景描写と解説が皆無なのは、幕瓦解後間もない頃で周知の事だったからでしょう。巻頭に「ええじゃないか」と呼ばれる幕末に起きた不思議な集団ヒステリーの挿絵があります。未だに仕掛けた者が不明なのですが、相当大規模なものだったらしいです。神のお札が天から降り、世直しの騒乱が広域で起きたようです。この版画には当時の状況が端的に表されておりますが、組織的に専門の演技者を動員して行われたように見えます。その後、慶應3年に龍馬は横死し、翌明治元年(1868年)に新政権となって、日本は苦難の道を歩むことになります。






2022年1月3日


 宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」です。旋律のみの採譜で伴奏がないため、沢山の人が伴奏を作曲しています。

 中でも林光作曲の「 女声合唱のための うた・ねがい・星めぐりの歌」が秀逸だと思うのですが、伴奏部分がフィンランドの作曲家セリム・パルムグレンの(SelimPalmgren、1878年2月16日 - 1951年12月13日)「三つの夜想的情景」 1. 星はまたたく OP.72-1を換骨奪胎したもののように思えます。

 いわゆるグノー作曲の「アヴェ・マリア」の伴奏にバッハの平均律クラヴィーア曲集を流用したのと同じに考えればよいのでしょうが、双方とも周知の名曲と、作曲当時は無名であった曲を組み合わせたものとは事情が異なるように思えて、どうも釈然といたしません。





2022年1月2日


明けましておめでとうございます。

本年で20歳になりますが、この仕事も段々つらくなりました。

愛想笑いもできませんが、今年もよろしくお願いいたします。






2021年12月29日


 浜辺の歌は曲調が流麗でバタ臭いため、昔から西洋人にも人気がありました。現在でも老人に好まれるためよく養老院などで演奏されるのですが、本日童謡集の新版を買って歌詞の解説を見て驚きました。病の癒えた女性が、奪われた子供を偲んで浜辺をさすらう情景ではありませんか、懐旧に溺れて暢気に歌っている場合ではありません。





2021年12月28日


昭和56年に定価59000円のラジカセを頂きました。ほぼ未使用で元箱付です。

絵柄はジャズのフルート奏者ハービーマンとビブラフォンのデイブパイクでしょうか、少々マニアックです。重さ6kgのラジオとして使えますが、電池は7時間しか持ちません。但し音質は相当なものです。電池と電灯線で音質が変わるところも面白いです。




2021年12月26日


  Андрей Рублёв  великолепный Спасайлюдей,  もちろん複製ですよ。アンドレイ・ルブリョフ 「三位一体」です。偶然手に入れたソビエト社会主義共和国連邦製です。キャンバスに貼った少しくすんだ印刷が好きです。




2021年12月18日



 カセットテープレコーダーの修理を頼まれました、最近はミニコンポやCDカセットは粗悪品が多く面倒なため断っていましたが、盲人用でメーカーから修理を断られたということで引き受けました。恐らく40年以上前の製品の為、ゴム部品とコンデンサー、トランジスターは総て交換しなければなりません。開けてみると、フライホイールのベルトの破断でした、基盤もコンデンサーもトランジスターも何とか持ちそうです。修理は、30分で部品代は100円もしませんでした。

 このような安物の家電に良い部品と丁寧な組み立てをしたメーカーに頭が下がります。

 盲の老翁は、5代目志ん生がお好きで、いまさら違う機械を使うのはいやなそうです。私も久しぶりに聞きました。昭和32年の録音です。カセットテープの音は、パソコンの音より遥かに真に迫った音質でした。芸は神品としか例えようがありません。

 ただ働きの良い1日でした。




2021年12月17日


 ジェリカン(ガソリン缶)です。左から民生用、自衛隊、NATO軍(赤色)、米軍用です。いつの間にかたまってしまいましたが、灯油缶として使用しています。耐久性及び安全性がオーバースペックで良いのですが、重いのが難点です。20L入れて25Kgで、取っ手の持ち方により、二人で1缶から一人で4缶まで楽に運べるように工夫されています。米軍のがむやみに頑丈ですが、総合的にはNATO軍のが優れているように思います。ポーランド製です。

 火が迫った場合は、身近にある鳶口や袖がらみ、十字槍などで池に投げ込むとよいでしょう。

その他市販のガソリン携行缶もありますが、性能は数段落ちます。ポリタンクは更に危険ですから、鉄板やコンクリート塀で半地下にして囲むなどしないといけません。

 この場合、火が迫ったら逃げるしかありません、突然爆発します。1缶でも30m以上は距離を置かないといけません。燃料類が高い位置にある場合は更に危険です。(実体験)





2021年12月13日


 早稲田古本屋街社会主義もの御用達の虹書店で20円で購入しました。40年前は1000円、10年前は100円でした。


 金日成朝鮮民主主義共和国国家主席の文章に、機械化が遅れた工事現場で、女性が土砂を背負子で運んでいる様子を「見づらい」(見辛い)と自分の気持ちを表していました。前後の文脈から、女の身で重労働とは、かわいそうで見るのもつらいという意味でしょうが、この本が出版された1964年頃は、日本語で「見づらい」は、「見えにくい」という意味しかないように思います。「かわいそう」と言う意味は謡曲のセリフでもないと使わない古語です。しかし600頁にわたる大部の訳は、少し古風なよい日本語です。


 この頃は、ホーチミンもチトーも毛沢東もカストロも健在でした。渡り合った日本の政治家はさぞかし苦労したことでしょう。




2021年12月11日


 知人から真偽不明のコインとペンダントトップを預かりました。メキシコ 100ペソ銀貨 1978年. 品位:銀72% 量目:27.7g という諸元が信頼の置けるコイン商にありました。自宅の秤では3種類の秤で27.5g でした。また、鋳造特有の泡立ちが地肌に認められます。この種類の地金型コインは、本物と同じ貴金属で作成されることはまずないため、洋銀製鋳造の偽物の可能性が高いです。本物の地金の価値が1500円くらいで実売価格3000円くらいなので、大した儲けにならない物の精巧な偽物をなぜ作るのか不思議です。

 クレディ・スイスの4g純金ペダントヘッドは、重量3gで裏に18金貼りのホールマークがあります。ある意味では本物ですのでそれなりの存在意味があるのでしょう。

 ところで、精巧な金貨の偽物は専門家でも見分けられません。ほぼ全く同じものが作れるそうです。コインコレクターが減ったのはそのためかもしれません。




2021年12月4日


アジェンデ大統領が亡くなったのは1973年9月11日、これで議会制民主主義は実現不可能だということが顕になって、2001.9.11から2011.3.11を経てコロナ騒動へと続いてきました。

 議会をフーガ(遁走曲)に例えると、曲を破壊するよう対抗旋律が現れることは許されませんが、平行5度や8度の多用も曲を壊します。一生の間に両方の現象を体験できたことがせめてもの慰めでした。




2021年11月27日


 子育て支援のバザーの手伝いで売れ残ったものを頂きました。明治期の印判一輪挿しと昭和40年代の週刊FMです。大方の人にはゴミですが、私には十分価値があります。若いベトナム人にバザーは日本語で何というのかと聞かれましたが、分かりません、強いて言えば楽市楽座かなといってますます分からなくなりました。





2021年11月7日


 柳橋新誌は旧幕臣成島柳北の随筆。明治7年(1874)刊。初編は幕末の柳橋の花街風俗を描き、2編は明治維新後の柳橋を舞台に文明開化を風刺したもの。新橋夜話は、大正2年(1913)刊永井荷風お得意の花柳小説で掛け値なしの傑作。共に震災以前の話故今では当時を思いを巡らすことも難しい。今となっては大佛次郎の小説鞍馬天狗に新橋芸者を豪商から庇う旗本として成島大隅守が出てきたのが最後の思い出であった。 しかし、秋の夜更けによるべない老人の慰みとして、かつて江戸にいたであろう幸い薄い女性たちに回向を捧げたいと思う。かつては新内の世界に生きていた男女があった。




2021年10月30日


インドネシア共和国は、300年に渡るオランダの植民地支配から僅か数年の日本の植民地化を経て独立しました。現在では日本の2倍の人口を擁する大国です。このポスターは、第二次世界大戦中のオランダのものです。旭日旗の下半分を蛸に例えたデザインが秀逸の為なのか、今でもトートバックやクッション、Tシャツなどの商品が売れているようです。国内では見たことが無いのですが、外国で見たことのある方は教えてください。オランダと日本では、どっちもどっちなため苦笑しかないのですが、旭日旗に対する目線には考えさせられるものがありました。

 見つけたのは、「Japan at war」Bazsil Collier著です。

 スローガンは、東インドに自由をみたいな意味なのでしょうか、オランダ語なのでよく分かりません。




2021年10月28日


 昭和19年8月の雑誌「航空朝日」の裏見返しによく出ていた広告です。覚せい剤は、昭和26年に法律で厳しく規制されたため、現在では自由に使用することが困難になりました。効能書きは真実で大変便利な薬ですが、副作用や依存性が強いのが欠点です。昔は高級雑誌で広告を出していたものが、今では持っているだけで犯罪者になってしまうほど世の中が変化してしまいました。服用経験者の話では、後のことを考えなければとても良い薬だそうです。

 次は、同誌にあった犬の広告です。コピーが現在の感覚とかけ離れております。今まで「航空朝日」を随分読みましたが今まで気が付きませんでした。平成に入ってから世の中の人気が変わったようです。







2021年10月23日


 5000円格安デジカメの使用レポート制作を依頼されたため使ってみました。特段性能には問題は無かったのですが、徹底的にコストを削っている様子が感じられました。スマホが普及している国では需要はないのではないかと思いました。

只でもいらないという感想でした。

 並べているのは、普段使用している銀塩35oカメラです。発売後80年ですが問題なく使用できます。性能はデジカメには遥かに及びませんが、手にした時の官能的な喜びは比較になりません。商品として比較対象にはならないのでしょうが、消費者としては、このような類似したものが大して変わらない価格で購入できることは知っておいた方がよいでしょう。

 古本屋店内の写真は、このデジカメの作画例です。1942年にこのデジカメがあったら飛行機一機くらいの値段がしたことでしょう。






2021年10月17日


 伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年〈大正3年〉5月31日- 2006年〈平成18年〉2月8日)日本浪漫派ともいえる民族主義的な音楽の他、多くの映画音楽の作曲をしました。また、浩瀚な「管弦楽法」を残しています。


 40年ほど前、直接楽譜にサインを頂きました。


 楽譜の「アイヌの叙事詩による対話体牧歌 」(1956年、独奏ティンパニの伴奏)は、その後編曲されて1959年の東宝映画「コタンの口笛」の主題歌となりました。アイヌ語の歌詞のままでした。現代音楽としては親しみやすい旋律の曲だったためでしょう。






2021年10月1日


友人から鉄扇を頂いた。今出来のもので、このような大時代の商品が流通しているとは驚いた。江戸時代に武ばった侍が持つものくらいの知識しかなく、すっかり廃れていると思っていた。

 俳風柳多留に「鉄扇でぶちのめされた大ねずみ」という川柳がある。いざこざのあったプロスティテュートを乱暴な武士が、鉄扇で殴りつけたという意味なのだろうが、打ち所が悪いと死んでしまうのに、これで笑いをとれた時代だったのだ。

 それが今、ゲームなどの中に使われて若者達に流行しているらしい。大ねずみも違った意味になっている。

 自分の情報が200年ほど遅れていたことが気が付いた。





2021年9月25日


 小島勝治は1914(大正3)年10月19日に大阪で生まれ、1944(昭和19)年7月28日に出征後中国戦線で病死。


 一吏員として役所につとめながら在野の統計文化史学者として数多くの研究論文を発表したが、発刊された著書はほとんど無く、この「日本統計稀覯書解題」は、私家版として刊行したものらしい。


 明治期の統計書の書誌を確かめようと思い、久しぶりに読んでみたら、図書館に寄贈されたものらしく、署名があるのに気付いた。

 1970年代になると多くの研究書が刊行され、忘れられた統計学者として再発見されたのであるが、無念であったことは察してあまりある。








2021年9月17日


フョードル・シャリャピン1873年2月13日- 1938年4月12日)。


 1936年(昭和11年)来日して演奏会を開いた上に、十八番である「ヴォルガの舟歌」を録音しました。その出来に大変満足して、レコードの原盤に鉄筆でサインを彫り込んだのです。それをそのままSPレコードとして販売したものがこれです。

 世界最高の歌手の傑作が、原盤を用いて国内から発売されるのはめったにないことでした。この年は二二六事件があり、日本は苦難の道を辿る事となります。


 40年ほど前、突然明治時代の金時計が欲しくなり、埼玉県大宮にある時計工房を尋ねたことがありました。その際に職人でもある老主人から大量のSPレコード頂き、その中に入っていたものです。「時計もほとんど地金の値段の上に、高価なレコードをなぜ見も知らぬ者に呉れるのか。」と聞くと、「死んだら持っていけないから、必要な若い人に渡す。」と言われました。


 老人とは尊敬語です。名画「七人の侍」に、侍大将が百姓の長老に向かって敬意を込めて「老人!」と呼んだシーンが忘れられません。






2021年9月8日


勝海舟 (かつかいしゅう)

1823-1899(文政6年-明治32年)

名は義邦。安房守を維新後、安芳(やすよし)と変えて字とした。通称は麟太郎。海舟は号。幕末の政治家、幕臣から明治政府に仕え後に伯爵となった。


 この掛け軸は60年ほど前に海舟の遺族から母が頂いたものです。

当時床の間も無い長屋住まいのため、近所の書道の先生に差し上げました。数日後、その方が「この書は大変貴重なものなので頂くわけにはいかない。」とおっしゃって返しにいらっしゃいました。

 今となっては書の価値よりも、その書家の心映えの方が尊く思います。海舟より素晴らしい書を残したでしょうから、取り替えてもらえばよかったのにと思います。


 ぶーにゃんが発見されましたが保護できません。人間不信に陥っているようで、飼い主の言うことも聞きません。差し当たり、近所の庭に猫小屋と水と餌などを置いて入って来るのを待ちます。我が家でも本日設置しました。





2021年9月3日

 

ぶーにゃんが行方不明になりました。

最後に見たのは防犯カメラの映像です。

警察が相手にしてくれないから公開します。

何かお心当たりがあればお教え願います。


しらたき眼科 東京都新宿区大久保1丁目3-13 三矢ビル

TEL 03-3207-5056






2021年8月29日

 

 近所の方より昭和32年に撮った航空写真を見せてもらいました。

 右下の土管を並べたような建築物は、旧陸軍射撃場です。その左上にあるのが、三角山という築山で明治時代に人工的に造ったものらしいです。その上に見える線路が山の手線と埼京線と西武新宿線です。新大久保と高田馬場の間に位置しております。


 今年の夏は、近所の古老に東京空襲の聞き取りをしておりました。ある翁が9歳の時、空襲でこの三角山に逃げ込んだところ、警備の兵隊から、「ここには地下に大きなガソリンの貯蔵庫があるから大変危険だ」と言われて追い払らわれたそうです。 


 その後、この場所には、高田馬場 住友不動産ガーデンタワーという高層マンションが建設されたのですが、恐らく戦前の地下構造物を基礎として利用したのではないかと言われています。ちなみに幻の西武鉄道地下鉄が大きくカーブするところのすぐそばの場所でした。


 




2021年8月21日

 

 友人から病気が治ったからもう使わないからと、車椅子を頂きました。

 携帯用折り畳み式の自力走行できない室内用で、買い物カートと簡易椅子を合体したようなつくりです。

 これに80kgもある大男が快適に乗れるわけもなく、ほとんど使わずにお役御免になったのです。

 ひとりでひとりを運べますが、担架と違い悪路には対応できません。でも一家に一台ということで捨てずに置いておくことにしました。

 実際に使ってみて車椅子は下りが極めて危険であることが分かりました。

 100kg程度の荷物を取りさばけない人は、ひとりで介助しない方が安全であることも分かりました。

 もしかすると運搬用具として緊急時には駕籠も利点があるかもしれません。




2021年8月14日


穴を掘るのが趣味の為、断ってお向かいの庭を掘っていると、空襲で溶けたガラスが出てきました。毎度のことなのですが、今回のは、中に鋭い鉄片が封入されていました。何だか分かりませんが、あまり良い想像はできません。

 以下の序文は、政治家の筆になるものとしては珍しく、被災者の気持ちを代弁したものだと思います。大きな図書館ならば大抵所蔵しているはずですのでご興味があればご一読願います。

 東京大空襲・戦災誌 1970年に結成された「東京空襲を記録する会」が、庶民の立場からみた戦災誌をつくろうと体験記を募集。844編、400字原稿用紙で1万1000枚分が寄せられた。73〜74年に全5巻を刊行。東京大空襲は第1巻、初空襲から終戦までは第2巻に収録。3〜5巻には軍や政府の公式記録や報道、著作などを掲載。刊行の序文は、美濃部亮吉東京都知事(当時)が書いた。(東京新聞より)




2021年8月9日


今年の3月に生まれたカエルが大きくなりました。卵の頃から世話をしているためすっかり慣れています。雨が続くと庭に出てきます。道に出ると危ないので庭から外に出ないように網を張らなければなりません。


 悪い気持ちを持って近づくと毒液をかけられますが、優しくすると抱き着いてきます。人の心が分かるようです。


 この家に前に住んでいた方から、家の主だから大切にしてくれと頼まれました。ヒキガエルは、たにぐくと言って小さな神様だそうです。





2021年8月8日


 5年前になりますが8月6日の広島原爆慰霊祭に行きました。

原水協の大会を抜け出して市井の慰霊碑を尋ねて回りましたが、偶然広島県立広島高等女学校(現広島県立広島皆実高等学校)の原爆犠牲者追悼式に立ち会いました。その情景が、いまだに忘れがたく思っています。

 

 道端の慰霊碑の前で学生と職員と家族などで質素に行われ、部外者の観光客なども参加が自由となっていました。当時原爆ドームのそばにあるこの碑の近くで建物疎開作業をしていた生徒教師548人が亡くなったそうです。


 学生達の追悼文読み上げと校歌斉唱が粛々と進み、そのこころのこもった佇まいに、場をさりがたく最後の献花まで参加いたしました。


 儀式は盛大であればよいというものではないようです。




2021年7月31日


 生ごみを埋めようと穴を掘っていたら、昭和23年の50銭黄銅貨が出てきました。

原水協

 50銭硬貨は、昭和13年くらいまで現在の100円白銅貨くらいの大きさの銀貨がありましたが、戦争中は製造中止され、昭和21年に現在の10円銅貨くらい大きさの黄銅貨となって発行され、昭和22年に米国の1セント銅貨くらいに小型化されて改鋳されました。


 激しいインフレなどに翻弄された結果なのでしょうが、戦後の貨幣なのによく見ると菊の紋章が付いています。昭和21年の50銭硬貨には、菊の紋章がありません。1円黄銅貨にも勿論ありません。

なぜ後から作った小型50銭硬貨のみに菊の紋章が復活したのか不思議です。


 ちなみに江戸時代の計数金銀貨には葵の紋章が入っています。

 明治以降は、軍艦と貨幣に必ず菊の紋章が入るようになりました。


 しかし、なぜか国から配られる盃や勲章に葵の紋章が用いられるのは面白いことです。ボンボニエ-ルとタバコは菊の紋章なのですが。






2021年7月26日

 

 早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 1955年10月15日)は、日本の作曲家で、黒澤明の映画音楽等で有名です。お嬢さんの早坂絃子は、歌手として銀座七丁目にあったシャンソン喫茶銀巴里に出演していたことがあります。

 60年ほど前は丸山明宏などが歌い、三島由紀夫が通いつめ、花の配達を兄がしておりました。私はミゼットに一緒にまたがりあちこちついて行ったものです。


 今では、僅かに記念碑が残るのみですが、この通りは花椿通りといって、資生堂本社の前を東に向かう通りで、少年ジェットが犬と走っていた東京高速道路と並行しています。


 道端には花椿記念のブロンズ像がひっそりと立っています。








2021年7月16日


個人気象台の判断では梅雨も上がったことですので、いよいよ梅干しを干し上げることにしました。これで10kgです。

 今年の梅は、皮が厚いので、初日の取り込みを早めにして、梅酢に戻す時間を長くしようと思います。

 しかし、日光は朝と夕方で効果が異なるのは不思議です。朝の一時間は、夕方の倍の価値があります。








2021年7月8日


High Court for Armed Forces

(高等軍事裁判所)韓国の螺鈿の名刺入れの裏に書いてありました。

この高蒔絵の盃は、旧日本帝国海軍の盃です。

桜に錨で有名ですが、両者不思議なことに酷似しております。








2021年7月7日


最新沖縄諸島詳図

沖縄群島政府総務部統計課

琉球文教図書    1952/02刊


 沖縄戦はまさに地獄絵さながらでありました。

 戦前の沖縄県の人口は約49万人で、戦没者が約12万人。4人に1人が亡くなったことになります。

 この地図の裏面には、戦災で失った建築物などとともに殉職された島田知事が出ております。当時の出版物で見るのは二度目であります。

 





2021年7月3日


 風蘭 フウラン(富貴蘭、学名:Vanda falcata(旧属名:Neofinetia falcata))は、日本原産のラン科植物のひとつで、着生植物です。

 胡蝶蘭などと違って日本の気候に合っているので育てやすいのですが、なかなか花が咲かない場合があります。

 この株は、近所のいつもにこやかで、仙台四郎のようで、飄然と現れいつの間にかいなくなった老翁から頂いたものです。福の神からの贈り物と思い、大切に幾年も育てておりましたが、やっと昨年花が咲き、今年は更に多く花をつけました。




2021年6月28日


バッハ:オルガン小曲集(オルゲルビュヒライン)より コラール「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV639

以下コラールの歌詞。


われ、汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ

願わくは、わが嘆きの声に耳を傾けたまえ

限られしこの時の間に恵みを与えたまえ

われをば怯え臆せしめたもうな

まことの道こそ、おお主よ、わが願いなれば

必ずや汝はそをわれに賜るべし

この道によりてわれは、汝のために生き

わが隣人に益となるべく

汝の御ことばを守りて行うをえん


「惑星ソラリス」アンドレイ・タルコフスキーの監督による、1972年の旧ソ連の映画の主題曲に使用されるまでは、あまり耳にする機会の少ない曲でした。

 そもそもオルガン曲であるため、ピアノで弾くのは難しいこともあり、アルベルト・シュヴァイツァーの名著「バッハ」で高く評価されていた割には隠れた名曲であったと思います。

 私も初めて聞いたのは惑星ソラリスの挿入曲でしたが、当時の映画評では、珍しい曲とのコメントのみでした。しかし、時を経るに従い、世界中で広く演奏される機会が増えて、現在では人気名曲のひとつとなってしまいました。

 映画の出来がよいためか、楽曲の出来がよいためか、双方の相乗効果のためか、不思議なことですが、ここ50年ほどで大化けした曲の一つです。




2021年6月21日


 夏川 静江(なつかわ しずえ、1909年3月9日 - 1999年1月24日)は、主演女優として映画で活躍したのは昭和初期であって、戦後は脇役に回ったためあまり有名ではありませんが、何とも言えないあでやかさがあって素敵でした。

 この写真は、1954年「主婦の友別冊」にあったものです、45歳の頃でしょうか、この辺りから彼女の本当の美しさが開花したのに。




2021年6月20日


 明日は危険物回収の日ですので、近所の方から頂きました。40年ほど前に前衛芸術家から貰ったそうです。

総てが良質のアルミニウムで出来ていますが、溶接ではなく、ねじ止めです。紐の結び目が何か意味があるのでしょう。1m×40p、2sくらいで取り扱いやすい大きさです。御神体にでもしましょうか。






2021年6月19日


業務用の餃子絞り機の下半分です。餃子を大量に作る場合欠かせません、また、果物など絞るのにも使えます。しかし、いらなくなった場合捨てるのは惜しいし、何か使えそうな佇まいがある上、それなり美しいためついついとってあります。

 5o厚ステンレスで溶接も丁寧ですし、踏み台になるくらい丈夫です。

 以前は鉄製で錆が出やすいため、酸性の食品には使えず、メンテナンスが大変でしたが、現在のものより丈夫で、古びた時味があって良かったです。なお足は鉄製で60年以上不変の様です。




2021年6月15日


宮沢賢治の「春と修羅」に「まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる」とありまして、世で耳目に入る言葉についていつも思い出しては、悲しく思うのですが、久しぶりに気持ちの良い言葉を見ましたのでご紹介いたします。本日の日本経済新聞朝刊12面全面広告です。





2021年6月6日


 梅と塩を混ぜて瓶に入れて重しをして4日間、梅酢が上がって黴も無く、後は梅雨明けを待つばかりですが、一緒に作業をしているベトナムの方の梅が茶色く変色し始めています。梅酢も上がってきません。梅酢の問題は重しが足りなかったようなのですが、梅の変色は、黴ではなく、腐敗としか考えられません。


 作業手順は、最初に梅を水洗いした後、布巾で拭いて焼酎で消毒してから瓶に塩と一緒に詰めるのですが、焼酎で消毒を省略していました。聞いてみると、「そこまでする必要はないと思った。」とのことでした。


 完全無添加で積年の保存に堪えるためには、塩分20%はぎりぎりの濃度なのです。戦前の料理本では30%の塩分が記されておりますが、これなら梅を消毒しなくと一晩で梅酢が上がり大過なく漬けることができたでしょう。


 とりあえず昨年の梅酢を入れて、梅が空気に触れないようにしましたが、どうなるかは干してみないことには分かりません。


 料理学校にも通い、日本語1級所持の上に看護師の資格まである人がなぜこのような逸脱をするのか考えましたが、衛生の感覚が異なるのが原因ではないかと思いました、異文化圏の方と接すると、人間同士の心情など根本的なことは理解しあえるのですが、些末な事で誤解が生ずることがままあります。

 言葉が足りなかったことが原因です。またもや反省の種となりました。






2021年6月5日




 春バラの最後は、「十六夜薔薇」です。なぜ「いざよい」というのか分かりませんが、春初めて咲くバラは、「なにわいばら」で、共に原種で野趣に富んでいることが共通しております。


 東京都新宿区内では、最近代替わりで老朽木賃アパートの取り壊しが多くなっています。生活保護の世帯が多く、立ち退いても住み替え住居は、自分で探さなければなりません。外でバラをいじっているためか、ここ一週間で二度も相談を受けましたがどうにもなりません。杜甫の詩がやっと分かりました。


茅屋為秋風所破歌 杜甫

前略


安得廣廈千萬間

大庇天下寒士倶歡顔

風雨不動安如山!


嗚呼何時眼前突兀見此屋

吾廬獨破受凍死亦足


現代語訳

前略


どうやって千万間もある大邸宅を手に入れようか。

大いに天下の貧乏人たちをかばっていっしょに笑い合いたいものだ。

風や雨にもびくともせず、どっしりしていることは山のようだ。

ああ、いつの時、目の前に高くそびえるこの館を見よう。

私の庵は破れて私は凍死してしまうとしても、それで満足だ。



2021年6月3日


 10sの南高梅を塩分20%で漬けました。

 去年より近所のベトナムの方と一緒に作業をしておりますが、漬けこみ時の梅の熟し加減の見極めが難しいらしく、梅の匂いが強くなった時だと言ったら、今朝、香りが強くなりましたと返されました。外国人と侮って浅はかな言い換えをしたことが恥ずかしくなりました。


春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる





2021年6月1日


昔、汽車で駅弁と一緒に買ったお茶の容器です。汽車土瓶と言うらしいですが、50年くらい前は既にプラスチック製だったように思います。旧かな遣いなのが面白いですが、取っ手がビニール被覆鉄線なので戦後のものでしょう。しかしこれを使い捨てしたとは驚きです。





2021年5月29日


やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君


Without touching or seeing

The hot blood of soft skin ―

Are you not lonely at all

Preaching the way of ethics? ―『みだれ髪』( 1901)

英訳 石 原 敏 子


和歌ならすぐにも代替できるので、オリンピック前に少子化対策用国歌にどうかしら。若者向けなので、英語の方がよいかもしれません。




2021年5月28日


 右が明治34年(1901年)の20銭銀貨、左が1952年の米国25セント銀貨です。

銀の地金の値段以下には貨幣価値は絶対に下がりません。日本の銀貨は、明治初期から大正初期までは、米国と同等な銀貨を発行しておりましたが、現在では20銭などという少額貨幣はありません。米国も1964年を最後に銀貨の鋳造を止めましたが、白銅貨に姿を変えて同じ姿形の硬貨が残っております。結句それが国力を現わしているのでしょう。しかし、お金と軍艦に菊の紋章が無いのは、出刃包丁を持たない強盗のような間抜けさがあって締まりません。






2021年5月27日


三省堂学習百科辞典

昭和9年(1934)9月15日刊行

三省堂百科辞書編輯部/本文1526頁/菊判(縦222mm)

昭和14年の増補版

主な対象を小学校上級生とし、実業補習や中等諸学校初級も含め、一般国民の常識を養う目的で編集されている。


不要不急ということで流れてしまった昭和15年東京オリンピックはこの国々で行われる予定でした。これはなんとか開催して欲しかった。





2021年5月21日


昭和初期の東京伊豆大島の水汲み女です。モデルを使って撮影した彩色写真のようです。普通添え物の男性は老爺を使うのですが、この写真では美男子を置いております。




2021年5月18日


単なるハノイの地図と思っていましたが、左下隅に昭和15年波集団複製との印字が、これは今村均中将の第3軍の暗号名、穏やかな敗戦を迎えたため、少し縁起ものかもしれません。







2021年5月9日


愛国婦人会の扇子です。今でいえばコロナ見回り隊のようなものですが、歌まであったとは知らなかった。

 当時は国防婦人会というのもあって互いに競い合ううちに活動が先鋭化していったようです。

 コロナ突撃隊というのも作ればよいかもしれません。






2021年5月2日


 原宿の皇族専用ホームです、使っていたのは見たことありませんが、荒廃ぶりに驚きました。以前はいつもペンキ塗りたてで塵一つなく整然と管理されていたのです。

 また、職場で国旗が掲揚されていますが、最近は、ガードマンがくるくると丸めて持って歩いています。以前は守衛長と部下が二人で丁重に畳んで捧げ持っていたものでした。

 俗に神は細部に宿るなどと申しますが、国家のイコンに対する扱いが、微妙に変質してきている気がします。これからどのようになっていくのでしょうか。




2021年5月1日その1


 心霊現象か。

 反対側ホームの電車の窓に大きな美女の顔が見えます。


 大きな美女となれば、日本画の定番、女神に間違いありません。この濁世に清滝権現が降臨あそばされたのです。





更新日2021年5月1日その2


東京環状山の手線目黒恵比寿間内側にある邸宅が遂に取り壊されました。立派な蔵も無くなります。明日ならまだ見られるかも。



更新日2021年4月30日


昭和35年メーデーです。

この時期に青春を過ごせた人がうらやましい。



更新日2021年4月29日


昭和40年代後期の仏国大使館休憩室だったと思います。当時はおおらかで頼めば簡単に入れました。


 このスピーカーはボーズ901型で高価なものでした。新式で日本ではほとんど見られませんでした。仏人はこのような音場型のふんわりした音を好むらしく、まとめて購入したようです、神戸でも見ました。

 アンプはラックスのプリメインアンプです。レコードを自由にかけられました。バロック以前と20世紀のシリアル音楽しかない不思議なコレクションで、尾高尚忠、矢代 秋雄や團伊玖磨など日本の作曲家のも結構聞かれていました。

 この部屋は見ての通り下層職員が使う場所でしたが、ダルラピッコラを知ったのはここでです。日本人とは趣味が違う様でした。


 その後この901型を手に入れて自宅に持ち込んだのですが、もっさりとしてどうにもなりませんでした。ボーズは何種類か試しましたが、広い部屋で使う必要がある上に、細かい正確な再生にこだわる人は向いていないことが分かりました。


 なお、日本でダルラピッコラの人気が出てきたのは、30年以上後のことになります。



更新日2021年4月19日


聖 ニコラスは彼に祈りを捧げるすべての人を助けます。彼に何か助けを求めるときには、アーメンと言えばあなたの声が聞こえるでしょう。





更新日2021年4月17日


 これは、ブードゥー教の呪いの人形です。好きな人を思って針を刺すと恋の願いが叶うそうです。但し、事前に相手に了解をとってから儀式を行わないと、ストーカー規制法に抵触する可能性がありますので気をつけてください。

昔買いましたが、使用する前に年老いてしまいました。

 ブードゥー教は、日本の神道と同じく多神教です。ゾンビなど映画でも親しまれていて、その名声は神道よりもはるかに世界的です、日本は本地垂迹の世界ですので神様の縄張りに気にせずに安心して試すとよいと思います。

  



更新日2021年4月16日


昭和34年7月29日産経新聞夕刊が出てきました。

 山岳遭難の3面記事ですが、これで一般の人が理解できた時代だったのでしょう。

 涸沢への分岐点から、雪渓をピッケルを使って滑降する高度な登山技術を使って失敗した若者達。

 涸沢キャンプ場から皆見ているからやりすぎたのかしら。

 また、都電とオート三輪がぶつかってうなぎが散乱した事故の写真の少女が可愛らしい。






更新日2021年4月14日


本を整理していたら、前の所有者の識語がありました。皇紀2601年7月、駆逐艦村雨、矢野泰男。昭和16年7月ですから5月後には、太平洋戦争開戦、村雨は昭和18年3月5日23時30分ブーゲンビル島近辺で撃沈、乗員245名中、生存者は129名、戦死者は116名だったそうです。この本があるということは、矢野さんはどうなったのか想像がかけめぐります。本には有島武郎の死の前年残した未完の長篇小説「星座」が含まれていますが、このような軟弱なキリスト教的恋愛と自由な学生生活を描いた本を旧帝国海軍艦船に持ち込んだらどうなったのかも気になります。将校だったのかしら。






更新日2021年4月11日


切り株にシロアリが巣を作っていたので堀り起こしました。斧とシャベルだけで行ったため大変でした。

なぜチェーンソーとチェーンブロックで簡単に作業しなかったかというと、

昔見た西部劇映画「シェーン」の冒頭に、開拓者と流れ者が、切り株を人力で除去することにこだわったことにより友情が芽生えるシーンがあって、その影響が未だに消え去らないためです。






更新日2021年4月10日


東京の上野駅前の昭和通りに昔オートバイ店が沢山集まっていました。この寒暖計は、当時そこで働いていたもとカミナリ族の整備士から頂いたものです。彼はトライアンフに乗っていたそうですが、いつもBMWを誉めておりました、値段は高いけれど、当時最高の信頼性でノートンより精度が高く故障が少なかったそうです。1960年前後の国産オートバイはまだ輸入車に太刀打ちできなかったのでしょう。



 

更新日2021年4月5日


3月10日に竹の抜根作業を行いましたが、本日見るとまた竹が出てきています、通常このまま成長にまかせて根の栄養分を消費させ、夏になったら根元から伐採すると、太陽エネルギーを吸収して根を太らせる役割の若い竹が死滅するため、根が弱るのです。確かに理屈は正しいのですが、いくら植物相手とはいい、このような騙し打ちのようなことをやってよいのでしょうか。

 もし戦争で敵国に対して未来にわたる深刻な打撃を与えたいのならば、これから社会に出て働く若者を選んで壊滅させ、それをやっとの思いで育て上げた後方の国民を衰退させるようなものです。

 根の堀上はホロコースト、除草剤は核兵器、若竹殲滅は特攻隊強要で、何をやっても地獄に落ちそうです。




更新日2021年3月27日


本日は、浅川書店さんと面影橋に花見に行きました。



更新日2021年3月27日


大根のかつらむき等に使う薄刃包丁を研いでいて気が付きました。東京では、右にある薄刃包丁も真ん中の刺身包丁であるたこ引きも、刃と鎬と切っ先の三平面が作る造形が左の日本刀にある横手と似ています。日本刀と共に関東風包丁は廃れつつありますが、包丁としてほとんど役に立たないデザインがなぜ関東に出現したのか不思議です。ちなみに関西の包丁は薙刀の菖蒲造りと似た造形です。二平面の作る造形のため横手はありません。。




更新日2021年3月18日


 いわゆるアルミ製の丸やかんです。1.5Lから15Lまでの容量です。近所の人から捨てるものを頂いているうちにたまりました。外で植木の水やりなどに使うだけで、湯沸かしとしては使っていません。このうち最小1.5Lのやかんは、製造が古いらしくリットルの表記が「立」となっています。デザインもどこか雅なところがあります。取っ手に保護用の樹脂が付いていません。最大の15Lのやかんも付いていませんが、これは以前竹で編んだ保護材が付いていました。やかんの色が違うのはアルマイトの違いの様です、デザインも微妙に違います。どこかにコレクターがいるのではないかと思うのですが、あまり聞いたことがありません。






更新日2021年3月10日


 東京都中央区銀座にある現代の有田焼の名窯のショールームに飾ってあった直径45pの色絵大皿です。500万円だそうです。明治期の同等品なら十分の一以下で買えますが、それでもこれよりはずっと出来がよいでしょう。古伊万里の献上物なら同じ金額でしょうが、世界中どこに持っていっても500万円の価値があると思います。この皿の本当の値段と、どうして飾ってあるのかは、私には分かりません。




更新日2021年3月10日


 竹の抜根作業を行いました。当研究所が管理しているアパートの庭ですが、一部の研究員が18年以上トイレ代わりに使用しているので無料奉仕となりました。竹は事前に枯らしておきましたが、枯れなかった株と根が見つかったため完全に掘り取りました。10坪ほどの庭ですが、丸一日かかりました。むやみに竹を植えるのは厳禁です、必ず植木屋に相談するか、鉢植えにした方がよいです。






更新日2021年2月25日


「岡持の取っ手に切り欠きがあるのはどうしてか」と聞かれました。今までそのようなことはうかつにも気が付きませんでした。昔を思い出せば、出前持ちは、自転車を片手運転して、スープをスープポットに入れて岡持にひっかけて持っていました。出前機やサランラップが普及したのはその後です。




更新日2021年2月24日


震洋に乗る若い女性。男女共同参画に従えばこの姿となる。男女差別は好まないが、これはやはりいやだ、心の底に男女差別意識があるのだろうか。



更新日2021年2月18日


以前ご報告した豊華飯店ご夫妻です。許可をいただいて掲載いたします。マスコットのプーが捨てられるというので貰って更生しました。大きなぬいぐるみは布団と同じで、かわと綿を別々に洗い、足し綿をします。










更新日2021年2月13日


東京都新宿区戸山町の豊華飯店が本日閉店いたしました。35年以上の歴史が閉じました。昔懐かしい味の町の中華料理店がなくなり寂しさは例えようもありません。主人は近くの大きな中華料理店で修行をし他後のれん分けをして都営住宅の一階に店を構え、以後35年、日曜以外は倦まず休まず店に立ち続けました。唯々感謝の気持ちでいっぱいです。




昨日の金曜日は、花の仕入れの日なので、よろしきオンシジウムを配した花束を花の店クマサワに注文をして本日自ら届けました。昼時の為客で混雑して話もできませんでした。



更新日2021年2月5日


『ジョスランの子守歌』という古い愛唱歌があります。大林宣彦監督の『あの、夏の日 とんでろ じいちゃん』の挿入歌として使われて少しリバイバルしたようです。

近藤 朔風(こんどう さくふう/1880-1915)による歌詞が現代まで伝えられています。


夢のまきまきに あこがれよ み空へ

眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中

あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ


この古風な歌詞で「夢のまきまきに」の意味が子供の頃から分かりませんでした、周りの老人に聞いても分かりません。最初は夢の牧場と思っていましたが、その後源氏物語絵巻を見て巻々と思いました。若い頃の幸福な生活を一巻の絵巻物として例えたのでしょう。なお、原詩より訳すと天使が長い金の糸を巻き取るという解釈があって、どうもこちらの方が正しそうですが、この訳詩を読んだだけでは意味が通じない難点があります。今では訳詩者がどう考えたか分からないため謎です。しかし当時の人達には無理なく理解できる詩だったのでしょう。小津安二郎の「麦秋」に徐州あたりで戦死した兄から来た軍事郵便に麦の穂が入っていたという台詞がありましたが、これも今ではよほどの年寄りでないと分からないでしょう。

添付楽譜は旋律が長二度高く移調してあります。




更新日2021年1月21日




「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」漱石、「守拙帰田園」陶淵明と連想します。この漱石の拙という揮毫は絶品です。


更新日2021年1月16日



大正時代スペイン風邪の感染防止啓蒙ポスターです。


日本では感染者数が2380万人、当時の日本人口が5473万人なのでおよそ人口の半数以上が感染、死亡者が22万人から38万人と言われています。致死率は1〜2%と低い致死率です。


また、およそ三回の波がきたといわれており、第一波の感染者数が2117万人、第二波は241万人、第三波は22万人と10分の1ずつ感染者は減っています。しかし、致死率に関しては第一波が1.22%、第二波が5.29%、第三波が1.65%となってました。




明治43.44年南満洲ペスト流行誌より、道路封鎖の様子です。小銃に着剣した兵士が立っています。いうことを聞かないと射殺されるくらい厳しいです。


ペストは、ペスト菌を保有するネズミなどのげっ歯類からノミを介して感染する病気です。国立感染症研究所によると、抗生物質の発見前には世界的な大流行が何度も記録されており、特に欧州では「黒死病」として古くから恐れられてきました。適切な抗菌薬による治療が行われなかった場合30%以上の患者が死亡するそうです。大日本帝国の組織である関東都督府の資料「南満州ペスト流行誌」によると、1910、11年に満州でペストが流行したことが記録されています。


しかし、インフルエンザとペストの対応の差が激しく見えます。インフルエンザでも1パーセントの人が死ぬのですから、現在のコロナ以上の脅威があったはずですが、ペストの戒厳令下の状況とは違いのどかな電車内の様子です。


ひるがえって現在のコロナ対応を見るとまるで訳が分かりません。最初は都市封鎖と言ったり、商店の休業、人の移動の制限などを行いましたが、危険なはずの第2波が来る前に金をばらまいて、旅行や飲食をそそのかしたりして、第2波が来ると、今度は飲食店の営業時間を短縮するだけの制限をしたり、まるで統一性がありません。これでは、国民がいろいろな都市伝説をささやくのも仕方ないことです。


更新日2021年1月7日


昭和34年頃の服飾雑誌です。青のポストが美しい。この後ろの方をずっと行くと中央郵便局があって、都電の向こうに橙と黄緑の湘南電車が見えるはずです。小津安二郎の彼岸花の世界に入ってしまいます。右の女性は十朱幸代さんです。本にはルレットの跡がついていました。






更新日2021年1月2日


明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。



初詣 2021.1.1


東京媽祖廟は、東京都新宿区百人町一丁目にある媽祖廟です。

道教の寺院ですので、日本人には信者が少ないようですが、庚申信仰などは道教の影響が見られますし、方角や星辰などにも影響が多大です。私は当初は仏教に興味がありましたが、現在では道教3、仏教3、キリスト教3、その他1くらいの割合で信仰しております。霊的な力は道教が強そうです。


日本の土俗宗教にも頑張ってほしいです。




更新日2020年12月20日


ЖАВОРОНОК (советский фильм о войне 1964год)



『鬼戦車T-34』(おにせんしゃT-34、原題:Жаворонок(ヒバリの意))は、1965年制作のソビエト連邦の戦争映画。第二次世界大戦中の実話を基にした映画。


あらすじ

第二次世界大戦中の1942年、ドイツ東部にあるナチスの捕虜収容所では、捕らえられてい連合軍の捕虜たちが新型砲弾の射撃訓練の標的にされていた。それは、砲弾の入っていないソビエト製戦車T-34に捕虜たちを乗せて標的にするというものであった。

ある日、捕虜となっていたソ連軍の戦車操縦士のイワンは、ピョートル、アリョーシャ、フランス兵と共に次なる標的に選ばれる。だが彼らは砲撃を見事にかわし、煙を出してやられたふりをして、戦車T-34を操縦して脱走する。


彼らの乗った戦車T-34は一路東へ向けてひた走るが、ドイツ軍側は追手を差し向け、彼らは次第に追い詰められていき、徐々に離散し、やがて最後にのこったイワンもドイツ兵の銃弾に倒れる。


原題で検索すれば、動画が総て見ることができます。この映画を見ると、ロシア人の感性と日本人の感性の親和性を知ることができるでしょう。

この映画は日本でつけたタイトル『鬼戦車T-34』によって、好戦的な映画であると誤解されています。本当は、人類愛に満ちた、抒情的描写に優れた映画作品です。


.Если вы выполните поиск по исходномуназванию, вы сможете увидеть все видео. Посмотрев этот фильм, вы можете увидеть родство между чувствительностьюрусских и японцев.

Этот фильм неправильно понимается как фильм о войне из-за названия ≪Танк-демон Т-34≫, данного в Японии. На самом деле это фильм, который полон человечности и имеет отличные лирические изображения.


更新日2020年11月5日


茂吉は太平洋戦争末期に戦争歌集『萬軍』を自ら編みました。しかし敗戦によって出版は取りやめました。


その後出版された刊本を手に入れましたが、当時決戦歌集と呼ばれ、戦後は戦争協力詩として顧みられることがなかった歌集です。昭和55年頃「昭和万葉集」という歌集が上梓され、戦時中の和歌の概観を見ることができるようになりました。後世の者にとっては、戦争の引き起こした悲劇に比べて、戦意高揚の為の営為としか見えない「萬軍」は批判すべきものとして捉えるしかありませんでした。


このほど、茂吉がこの歌を詠んだ年齢と等しくなり、あらためて再読してみると、勇ましい叫びよりも、斃れていくいく若者への挽歌ともいえる心持が惻々として感じられます。

詠歌は、220首余り、太平洋戦争の進捗に準拠して、ハワイ・マレー沖戦より沖縄戦まで亘っています。


最後の歌は、沖縄戦のすぐ後にあります。


薄るもの むかえむとするいきおひは 大土(おおつち)のごと 時にしづけし


もはやことばで表し切れない状況なのだと思いました。他の歌も時世に迎合するものではなく、こころよりの真実だと信じたいです。時の流れによってすべてが変わってしまったのでしょう。





更新日2020年11月1日


『生きる』(いきる)は、1952年に公開された日本映画です。監督は黒澤明、主演は志村喬。モノクロ、スタンダード、143分。東宝創立20周年記念映画。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を市民公園の整備に注ぐ姿が描かれております。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。


添付写真は、主人公の志村喬が人生の転換を決した小道具として使用された小田切みきが工場で作っている玩具です。


60年くらい前に買って貰ったことは憶えていますが、映画との関係はあまり気にせずにいました。今となってはさまざまな思いがありますが、映画の通り今でもゼンマイで動きます。何かの参考にと思い公開いたします。







更新日2020年10月25日


禅とオートバイ修理技術〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) 2008/2/1

ロバート・M. パーシグ  (著), Robert M. Pirsig (原著), 五十嵐 美克 (翻訳)

Zen and the Art of Motorcycle Maintenance: An Inquiry Into Values


内容については、優れた書評が沢山ありますので、そちらに譲るとして、オートバイに関してのみ記します。

著者が、1968年頃米国ソルトレイク市より、友人と妻と子供と4人でオートバイ2台で長期旅行に行った心象記録及びオートバイの修理についての記述です。

このオートバイの記録について書評ではほとんど触れられていないため追加いたします。


著者の所有するオートバイは、写真から見るとCB250 の様に見えますが、書中で36馬力と記述があるためCB350かもしれません。ともかく250ccでは荷物満載の二人乗りで時速90マイル(144km)で走ることは不可能と思われます。

著者は、自分のオートバイについて、車種やメーカーについては触れずに、ただメンテナンスのみ詳しく記してあるのみです。


同行した友人のオートバイは、BMWR60です。1800ドル(当時のレートで65万円くらい。消費者物価指数から現在の250万円くらいか。)で購入したようです。米国でも信頼性が高く故障が少なくて材質がよいという評判があることを記してあります。実際に旅行中もトラブルはありません。

著者は、専門の整備士ではないですが、フライス盤と溶接の設備とそれを駆使できる技術は持っていたようです。








更新日2020年10月22日


碑文 愛の母子像

昭和57年(1977)9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、住民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。

生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。


横浜市の港の見える丘公園に行くと必ず詣でますが、供え物の絶えたことがありません。私もつい昨日のことのように憶えています。




更新日2020年10月20日


本日は、私の誕生日であるため、記念に以前作成した母の戒名を載せます。宗教的には全く節操の無い家族であり、モルモン教から道教まで様々な信仰をいたしましたが、とりあえず法華経信仰を基軸に作り上げたものです。漆に金蒔風に見えますが、戒名込み1万円しなかったため本物かどうか分かりません。仏壇もキリスト教の祭壇を流用したため訳が分からなくなっているためちょうどよいです。


仏壇の中には、良くわからない位牌も入っておりますが、位牌というものは可愛くて美しくなかなか素敵です。猫の位牌もあります。いずれは皆空に帰るのでしょう。



更新日2020年10月19日


私の家のすぐ近くにある記念碑です。

関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は日本の声楽家、音楽教育者、音楽評論家。第二次世界大戦後、日本共産党員として同党の文化政策に基づく実践活動を行い、日本のうたごえ運動の創始者と見なされるようになった。スターリン平和賞の授与(1956年)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

うたごえ運動は、敗戦から冷戦の期間に始まり、1960年代に全盛期を迎えました。団塊の世代が中心となって歌っていたため、少し後の世代である私は歌われていた曲についてはほとんど知りません。合唱を行う組織や形態に重要性を置くため、楽曲が一般性を獲得することは少なかったように思います。全くの私見ですが讃美歌に近い感じがいたしました。





更新日2020年10月10日


ジャンクMIDIキーボードを預かりました。一つはMACのみで操作できます。立てかけてある方は、高性能のパソコンでないと対応できそうにありません。時代遅れの機械ですが、音源が自在なのと演奏を記憶できるのが便利です。私は古典音楽しか聴かないため、長年演奏が困難であった、バッハのオルガン小曲集の足鍵盤部を機械に助けてもらいました。一種のカラオケともいう楽しみ方ができそうです。これからは老人向きにソフトを開発してもらいたいです。





更新日2020年10月6日


7月7日より懸案の「花の店クマサワ」の張り出し看板の修理が終わりました。

錆び落とし、補強、塗装、蛍光灯交換、アクリル板修理を行いました。

高所作業車レンタルをしなかったため、梯子の上で大半の作業を行ったため大変な困難でした。


銀座商店街の人が通行人の安全管理など手伝ってくれたため大変助かりました。破れ窓理論のごとく朽ちた店舗を放置しておくことは、商店街全体にとって脅威となるとのことでしょう。


今回の作業により、看板製作者の水仕舞の欠陥と材質の不適切さを強く感じました。似たような物件が多くあるはずで極めて危険です。


修理前



修理後







更新日2020年10月4日


高橋梵仙『かくし念仏考』に始まり十字屋版宮澤賢治全集へと、最近関わり繁くなった天才詩人と更に関係を深める出会いがありました。


田中智学文久元年(1861)〜昭和14年(1939)

大正3年(1914)「国柱会」創立。大正9年宮沢賢治、国柱会入会。


「法華経魂魄」は昭和6年刊行。田中智学の講演録をもとに「如来寿量品第 十六」を懇切丁寧に説いたものです。

末尾の広告によれば、講演のレコードもあるそうで興味は尽きません。

「書を読むを好めども、甚だしくは解することを求めず」を基調としておりますが、さすがにこれで賢治の不思議な仏教童話「ひかりの素足」理解のジグソーパズルが埋まってきた気持ちがします。


更新日2020年10月4日


10月2日15:24頃より、以下の地域で停電が発生しております。

大久保2丁目:約1740軒

複数箇所で停電が発生しており、復旧には時間を要する見込みです。 ご不便をおかけしておりますが、順次復旧に向けて作業を進めておりますので、 今しばらくお待ち下さい。


出典:東京電力


直ぐに職場から帰宅し発電機を始動したときは復帰しており、面目丸つぶれ。そもそも物置の奥にある上に、2011年3月11日 東日本大震災以来一度も始動していないのです。動くまで1時間以上かかりました。

パソコンは、ルーターが動かず使用不能、これは自動車の予備バッテリーからトランスをつないでAC100V変換し作動できました。照明はLEDで、これで1日は持つはずです。

発電機は2時間に一度くらい冷蔵庫を作動させるのに使う予定です。1時間1Lの燃料消費なのでバイクのガソリンだけでもしばらくはしのげるはずです。


とっさに対処できないのは油断が原因であり猛省しています。


これでは役に立たない。





更新日2020年9月22日


 ポルターガイストだ。(続)


 とりあえずポルターガイスト現象の原因と思われる仮説を述べます。


 冷蔵庫のコンプレッサーの振動が原因です。


 ブロンズ像が動くのを夏に気が付いたのは、夏こそコンプレッサーが目いっぱい活動するときだからです。我が家は、350Lの安物2台を並べて使用しているため、振動は激しいはずですし、ブロンズ像と冷蔵庫の距離は2Mほどしかありません。


 他のガラクタが動かなかったのは、皆底面が石や金属で滑らかなため振動があってもその場で前後するだけなのだろうと思います。

 ブロンズ像に貼っているフェルトには方向性があります。前方に滑るのは楽ですが、後方に滑らそうとするとラチェットのような抵抗があります。スピーカーの上面は木目が横張の突板ですから、ブロンズ像を滑らそうとしたときの抵抗が前後で異なります。


 ゆえに、ブロンズ像がせり出したのだと思います。

 これでしばらく様子を見て涼しくなって動かなくなればほぼ仮説の検証が成功したと言えるでしょうか。


  死後の生命; 著者: ロンブローゾ 著[他]; 出版者: 内田老鶴圃; 出版年月日: 大正5; 請求記号: 363-10; 書誌ID(国立国会図書館オンライン)

 Web上で全文公開しています。霊媒の起こす奇跡を検証する方法はある程度参考にはなりました。





更新日2020年9月21日


本日昼過ぎに早稲田浅川書店にて十字屋版宮澤賢治全集を購入いたしました。s終戦直後再版のものです。帰って読んでいるうちに1933年9月21日が彼の命日であったことを知りました、息を引き取ったのは13時30分頃らしいです。50年以上心を寄せていた詩人の初期全集と邂逅した偶然としては出来すぎた話でした。このような不思議な話ならば大歓迎です。




更新日2020年9月20日


ポルターガイストだ。

 このようなことは映画か読み物の中でしかないものだと思っておりましたが、どうしても理解できない現象が我が家で起こりました。

 現在原因を突き止めるべく調査中です。


下記の写真左端のブロンズ像が、週に2pほどせり出してきます。右のガラクタは錫細工の猫とカエルとワニ、木彫りの猫、中国の玉細工、真鍮の仏陀とシバ神です。

 スピーカーはチークの突板で滑りやすいのですが、ブロンズ像以外は全く変化いたしません。

 


下記は、全体像です。ピアノの上に飼い猫の階段が置いてあり、左上のかごの中に時々行きますが、夏場は暑いため全く利用いたしません。猫の上り下りする振動は相当のものですが、冬から春にかけてこのような現象は起きませんでした。


 ピアノやスピーカーに起因する振動は四季を通じてのものなので原因としては考えにくいです。

 手前の椅子は行き止まりの為、スピーカーの前を歩行することは少ないです。

 他に考えられる振動原はエアコンくらいですが、ここ1週間くらいは、涼しいためほとんど使用しておりません。


 しかし、今朝見たらブロンズ像のみが2pほど手前にせり出していました。



 ブロンズ像です。きちんと制作されたものかどうか分かりませんが、粗悪な型抜きのものではないようです。重量600グラムで、長い間撫でまわしたようにすり減っています。下部にフェルトが張ってあります。

 入手したいきさつは憶えていませんが、勝手に動きだすことに気づいたのは今夏になってからです。




更新日2020年9月15日


 小泉八雲[ラフカディオ=ハーン](Patrick Lafcadio Hearn, 1850~1904の「心」第8節「ある保守主義者」に外国から帰って来る船の甲板上で曙の富士山の姿を見ようとして見当がつかない船客達に、船員が「ああ、あなた方は目の付け所が低い、もっと上を御覧なさい。」という場面があります。


 昨年の暮れに、近所の中国から来た若者が、悪質な業者から原付を買い、すぐに壊れてしまってウーバーイーツのアルバイトができなくなって困っていたため、隣人の壊れた原付を修理し差し上げたことがありました。

 その後飲食店に就職できて原付がいらなくなって売却することになり相談を受けたため、貰ったものなのだから、困っている同国人の若者に安く譲るようにと言いましたが、相場の二割引きくらいで譲ってしまいました。随分と欲張ったことをするものだと思いましたが、夕方になってその売却代金を私の所へ持ってきて、貴方のものだから受け取ってくれと言われました。

 私は自らを省みて人格は馬齢を重ねても向上することは無いことを思い知り愕然といたしました。三国志にはこのような人が将に将たる器として出てきます。


スズキアドレスV50 走行5300km 前後タイヤ、バッテリー新 機上外並 事故歴無。

 どなたかのお宅が映り込みました。どうかご寛恕のほどお願いいたします。



更新日2020年9月14日

 

 夏休みもあと二日、またも早古本屋街に行き、中央公論版昭和31年刊のラディゲ全集を買いました。随想にコクトー翻案、オネゲル音楽、ピカソ装置、衣装シャネルと錚々たる顔ぶれのアトリエ座の「アンティゴーネ」興行についての評がありました。

  面白いのは、アンティゴーネを演じた女優の気韻とココ・シャネルがモードを理解していないというコクトーの評をラディゲが支持していることです。


 若いころ訳も分からずに買った楽譜、金子晋一作曲のフルート「アンティゴーネ」の雰囲気がやっとおぼろげに見えてきました。

 演奏には偽古典主義への決別が必要のように思います。遥遠く極東の異文化圏からでは分からないことが多すぎます。




著作権法のため、楽曲の半分以下し表示できません。





更新日2020年9月13日


 

 今夏は、自転車を5台ほど分解修理し、フロントフォークが余ったため、注文もないのに久しぶりに作成いたしました。


 手前の27インチの車輪のです。

 ベアリングの玉押しは完全に整備し、リムの振れ取りも行い、いつでも実車に使用可能な状態にしてあります。


 結界の意味合いがありますが、子供には回転おもちゃで、怪しい人には罠の様に見えるようです。


更新日2020年9月10日


椎名麟三[シイナリンゾウ]

1911・10・1〜1973・3・28。小説家。兵庫県生まれ。姫路中学中退。私鉄乗務員(山陽電鉄に車掌として勤めていた。)等、種々の職をめぐり労働運動に参加するも検束投獄され転向。ドストエフスキーによって文学に目覚め、戦後「深夜の酒宴」でデビュー。ニヒリズムを基調とした実存主義的作風で第一次戦後派作家として注目されました。その後キリスト教に入信。


著書に『美しい女』(芸術選奨)があります。電車の運転の仕事を熱愛する平凡な男が現実の重さに躓きつつ生き抜く様を特異なユーモアで描き、戦後の社会にカリスマ的光芒を放った椎名文学の代表作です。(1956年出版)

当時の書評からの引用の孫引きです。


前置きが長くなりましたが、先日早稲田の古本屋虹書店で22円で購入して読んでみました。鉄道マニアだったため中学生の時読みましたが全く面白くありませんでした。

 今読んでもやはりそれほど面白いものではありませんでした。


 ただ、電鉄会社内で撒かれたアジビラについての描写が面白かったので備忘の為記します。


 小説の舞台は戦前の電鉄会社。ビラの内容は「帝国主義を粉砕せよ!地主資本家を撲滅せよ! etc.」治安維持法違反で下手すると死刑になりかねない内容です。作者の経歴と思想からして何らかの事実見分を反映していると思います。椎名麟三は、「悪魔が吠えているような文字と文句」というのみならず、「私たちの生活のなかから自然に生まれて来て、やさしく私たちに語りかけるものではなくて、硝煙と血潮のなかで兵隊を叱咤する鬼将軍の聲のようであった。」と主人公の口を借りて記しています。

 

 このようなアジビラにあるような、こころを失った不気味な言葉を最近よく耳にするのですが、適当な表現ができませんでしたが、良いものを見つけました。




更新日2020年8月10日


近所の方からの依頼です。ピアノの調律を頼もうとしたら、音が出ないので見てくれとのことです。このピアリーナS101は1979年に発売された打弦方式、75鍵モデルの電気ピアノです。アクションと鍵盤メカニズムはアッライトピアノとほぼ同じで、鋳鉄製のフレームに弦が張ってあり、通常のピアノの様に定期的な調律が必要です。分解してみたところ、ハンマーチップが加水分解していたため修理いたしました。


この丸い穴に適当なものを詰めて打弦出来ればいいのですが、詰め物によって音色が変わります。弦の太さや巻弦か否か等を考慮して音を作っていきます。高音は硬質樹脂、中音は檜、低音はコルクで、硬さをなだらかに変えて作成しました。



このピアノには響板が無く、ピックアップマイクで集音してアンプで増幅し、スピーカーで再生しますが、エフェクトは皆無ですので、ハンマーの材質が音を決めます。考えようによっては、電子式キーボードよりも良質な音作りが可能となりますため、バンドの録音などに活用すれば面白いのではないかと思います。チェレスタやクラビコード、プリペイドピアノのような音色も出せます。

もちろんハーフペダルは可能ですが、連続打鍵は少し弱いようです。




更新日2020年8月8日

新宿区内に戸山ハイツという都営住宅を中心とした限界集落(人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落。)があります。


明治通りと大久保通りと諏訪通りに囲まれた広大な敷地は、もと尾張徳川家の下屋敷で、江戸でも屈指の名園でありました。


明治時代になり、現在の大久保や百人町も含むこの付近は軍用地として利用されました。近辺は戸山ヶ原と呼ばれ、陸軍の射撃場や陸軍の軍人養成機関である陸軍戸山学校など軍事関係の施設が設置されました。


終戦後、戦災者収容のために建てられた木造平屋1,062戸を1972年に建替え、都営住宅(中高層)3,348戸、公社及び公務員住宅(高層)335戸、計3,683戸の団地を作りました。


現在では、住民の高齢化が進み往年の賑わいは無くなりました。

この戸山ハイツに隣接した古いスーパーマーケットのデザインが気になります。

このような様式の建物はなんというのでしょうか、おそらく1960年代の建設だと思います。


西側側面です。鉄筋コンクリート製螺旋階段で、左隣の2階部分は極めて小さなバックヤードです。チェーン店の各種商品小売業にしては外見に手を入れていないように見えます。


東側側面です。不思議な東洋風の屋根のように見える鉄筋コンクリートの建屋です。


コープみらい戸山店正面です。大久保通りに面しておりますが、外見は普通のスーパーです。何故か平屋です。隣接する広大な広場にも建物はありません。


この付近は新宿区戸山町といって、もともと旧軍施設が多く、地下施設が張り巡らされ、地上建設が難しい場所が多いそうです。地価が高いのに不自然な空き地や低層建築がよくあります。また、公共工事で目的が合理的でないものもありますが、真相はよく分かりません。




更新日2020年8月7日


梅干を干し終えました。今年は雨も降らず助かりました。これが年に一度の大イベントですからささやかな生活です。

8月4日干し始める前、梅漬け状態です。これで3Kgくらいです。



干す前の「ゆかり」です。面倒ですから紫蘇の葉を広げておりません。


2階のベランダで干しました、これで10s分です。日照時間7時から18時までです。最初の梅をひっくり返すときに破かないように気を付けるのが肝心です。



干しあがった状態です。



干しあがった梅が約5s、ゆかりと、4Lの梅酢が成果物です。梅干製作は、本年で3年目です。年間10sほど消費しますので、昨年は20s作り、ある程度熟成したものを食べるようにしております。梅と赤穂の天塩を20パーセント以外何も使用しておりません。




更新日2020年7月26日


私の住居は東京都新宿区大久保2丁目です。戦争前は郊外の住宅地でした。太平洋戦争で空襲の被害により一面の焼け野原になりました。


私の一家は祖母が新潟県長岡市から東京に嫁にきて深川に住み着いたのが始まりです。関東大震災で焼け出されて、郊外の恵比寿に移り住みましたが、また空襲で焼け出されました。祖父の戦死と戦後の混乱によって一家は打ちのめされ港区麻布の焼け残った長屋に流れ着いたのでした。映画『どっこい生きてる』1951年(昭和26年)監督は今井正{ちょっと出てくる脇役の二本柳寛がよかった}。のようになってしまいました。


私は、震災は天災としてあきらめがつきますが、空襲はあきらめきれません。しかし、家族が助かっただけでもめっけものでした。


18年前に大久保に移り住み、まず荒れ果てた庭の整備をするために、小判でもでないかなと期待をしてそここと掘り返しました。


出たのは、下瓶(げがめ)と空襲で溶けたガラス片でした。


画像の左上は窓ガラス、左下は銀メッキのスプーン(熱により銀が溶けて先に集まっていました。本体は銅製のため金属の融点が高く原型を保ったのでしょう。)右はガラス製めんこです。零戦の機影のような図から察するに戦前のものではないかと思います。戦後ならばF-86などの形になるでしょう。L字のある破片も戦前のガラスと見えました。今でも掘ると色々出てきます。


深川(現在の墨田・江東区)方面では、一帯が、ガラスでさえこのようになる焦熱地獄に襲われたのでした。


高橋和巳「捨て子物語」に場所は大阪なれど空襲のものすごい描写があります。

また、一色次郎「日本空襲記」のお嬢さんと同僚だったため、多くの知識を得ることもできました。


なによりも、毎日の家族の会話に空襲が出ない日はありませんでした。もうこりごりです。


30年ほど前、勤務先で火災避難訓練を行い発煙筒を焚いたときに当時定年間際の人が、「火事だ避難しろ」というところを「空襲だ」と叫んだことがありました。その時、同世代の人たち顔色が変わり「防空演習」と言い始めたのが忘れられません。




零式艦上戦闘機投影図



F-86 セイバー(North American F-86 Sabre )


更新日2020年7月14日(二つ写真があります)


庭にある睡蓮鉢ですメダカがおりますが、春先にカエルが産卵するため大混乱となります。この鉢は直径2尺ほどの常滑焼の下瓶というものです。庭の西隅地下1mくらいに埋まっていました。なぜ埋まっていたのかは分かりませんでしたが、後に中野晴久氏の「トイレと常滑焼」という論文で何に使われたものか分かりました。井戸が1mも離れていない場所なので衛生上問題ないのかという疑問はありましたが、発掘当時周りの赤土が青紫色に変色していたので間違いないでしょう。確かに焼きは甘く、下部にマンガン釉薬が認められます。


我が家は東京都新宿区大久保2-16ー5です。大正元年の地積図によれば畑であったようです。昭和に入って家が建ち始め、空襲ですっかり焼けてしまい、戦後改めて宅地として売り出したのが、現在の家の先代の家です。その家が水洗だったかかどうかは分かりませんが下水配管の様子から戦前の家屋の名残ではないかと思っております。



参考に、これが現在の常滑焼の瓶です。これは新宿区百人町2丁目の廃業した蕎麦屋の汁の元の貯蔵用に使用していたものです。60年くらいは経っているはずです。立派な防空壕がありました。この辺りには何故か防空壕のある家が多いです。



更新日2020年7月12日(二つ写真があります)


 7月5日の写真の自転車が完成しました。手前の写真のがそれです。サドルや荷台など、家にある部品を付けましたが、微妙に不一致感があります。義理の姉に亡父の思い出があるから捨てないでくれと頼まれたため、結局オーバーホールしてしまいました。ハンドル支柱の台座の上半分のボールベリング受けが破損しておりました。今まで自転車やオートバイで見たことの無い故障個所です。恐らく配達に重いものを入れて前かごを頻用したためでしょう。25年くらい前の宮田自転車の製品です。致命的な傷みは無くよい材質で作られた自転車です。


 奥にある自転車は富士自転車の初期のMTBです。40年くらいは経っています。10年ほど前に近所の人に頼まれてレストアしました。部品代だけで3万円くらいかかりました。スポークも総て張り替えました。分からないことは、石井輪業 新宿区新宿6丁目7-2に聞きました。親切な自転車店です。


 その後この自転車の持ち主の方が85歳逝去され、息子さんにより、父の思い出があり捨てがたいため貰ってくれとのことで因縁もあることから引き取りました。


 1週間で、自転車が2台も増えてしまいました。断捨離どこではありません。


 後ろに見えるのは大久保名物茗荷です。江戸時代から大久保は、つつじと茗荷が名物でした。酸性の強い土壌なのでしょうか。





その二


風蘭の花が咲きました。あえな香りがいたします。


 これを呉れた人はどこからか越してきた一人暮らしの布袋様のような翁でした。いつもにこにこと笑っていて人懐こい福の神のような人で、公園で拾った梅などを近所に配っていましたが、ある日突然引っ越していなくなりました。1年とはいなかったように思います。


 珍しい蘭で、いただいたときにいつか花が咲いてよい香りがすると言われましたが、さっぱり花が咲かず、何も言わずにいなくなった布袋様の安否まで心配になってきました。

 

 しかし、きっと彼はどこかで元気で幸せに暮らしているでしょう。



更新日2020年7月7日


話が前後しますが、午前5時30分です斑子が新しい首輪をして現れました。どこでもらったのでしょう。



桃太郎が心配そうに見ております。猫を飼うと室内がこのように荒れ果てます。



結局一緒に食べております。



これからが花の店クマサワの再興事業です。



次はこの腐った看板の撤去です。歩道面から看板最下部まで340cm、看板は50p角、庇の張り出しは100pです。非常に難しいです。



設置が終わり、庇も掃除しました。乗っている荷物は廃棄電子レンジです。更に電話機も壊れました。次々に仕事が増えます。壁紙はいつ張り替えられるのでしょう。





出発です。30kg以上はある看板を載せて大久保から銀座へと向かいます。約二里(8km)着いてからセンタースタンドをかけられるかが心配です。


更新日2020年7月5日



 花の店クマサワの看板の修理が完了しました。水仕舞が悪く、看板の下部が腐ってしまったため、切断して松の木で台を作り、上下を接続しました。赤く見えるところがそれです。看板のアクリル部分から流れ込んだ雨水はこれで外部に流れ出すとともに、風が通るため、内側が乾くはずです。鉄部が異常に錆びていたのは、昭和通りが近いため、排気ガスによる酸性雨の影響かもしれません。


 蛍光灯は今は珍しいグロースターター方式です。トランスが一つ壊れていました。最近手に入りにくくなっていますが、なんとか手に入れて点灯するようになりました。


 手前の分解した自転車は、花の店クマサワの配達用の自転車で、廃棄を頼まれたものですが、運搬のためペダルを外してみたら、あまりにネジの精度が高いため全部分解してみました。30年前の宮田自転車製婦人用軽快車です。鉄部とアルミニウムの品質が高いです。フルームはアルミと鉄を独特な圧入方法で結合しており、強度と耐震性を確保しています。コッターとベアリングは完璧で、これは、何とか再生することにいたします。



更新日2020年6月29日



今年は梅を10kg漬ました。梅雨明けとともに干します。昨年は20sで、毎年10s(300個)ほど食べるので、10s残ります。それを翌年まで寝かすとよりおいしい梅干しが食べられるわけです。2年前のが2sほど残っているので、来年は、梅干しが最もおいしいと言われる3年目が食べられるわけです。今年は梅が不作でしたが、とてもよい南高梅を手に入れることができました。塩は20パーセントですから、カビの心配はありません。赤紫蘇は普通の半量で漬けています。我が家では年に一度の大イベントです。



更新日2020年6月28日



 風蘭といいます。直径3cmほどの素焼き鉢に、よくみると小さ花芽がついています。ここまでなるのにいただいてから3年かかっております。


 これを呉れた人はどこからか越してきた一人暮らしの布袋様のような翁でした。いつもにこにこと笑っていて人懐こい福の神のような人で、公園で拾った梅などを近所に配っていましたが、ある日突然引っ越していなくなりました。1年とはいなかったように思います。


 珍しい蘭で、いただいたときにいつか花が咲いてよい香りがすると言われましたが、さっぱり花が咲かず、何も言わずにいなくなった布袋様の安否まで心配になってきました。

 

 ところが今日の午後雨上がりに花芽を見つけたのです。きっと彼はどこかで元気で幸せに暮らしているでしょう。



更新日2020年6月21日


現在午前10時雨の日曜日です。FMラジオでフルートの曲が流れています。フルートは西洋楽器でありながら、どこか東洋的な響きのする音色を持っているようです。尺八や横笛と似ているからでしょうか。


 20世紀初めの作曲家グスタフ・マーラーが1908年に作曲した、声楽(2人の独唱)を伴う交響曲。『大地の歌』(だいちのうた、独: Das Lied von der Erde )は、歌詞にハンス・ベートゲ編訳による詩集『中国の笛』が用いられていて、東洋趣味たっぷりの作品となった傑作です。中でもフルートの活躍するところが多くあり、これが、日本人の竹笛のような枯れた音色のフルートで演奏されると、竹林の七賢の会話を聞いているようでたまらなくなります。


 現代の金属でできたフルートは円筒形の管で作られています。これに対して古い木のフルートや、リコーダー、日本の尺八などは、息を吹きこむ側の方が太くて、尻の方が細い円錐形の管が使用されています。円錐形にすると、音が小さくなるかわりに音色が複雑になって、どこか寂し気な音色になるようです。


 いまでも木のピッコロ(小型のフルートの一種)などは円錐管で作られているものもあり、黄昏た音色を聞くことができます。


 さて大地の歌の最後の部分は、ソロ歌手とフルートのソロが延々20分以上も掛け合いで続く、演奏者にとっては過酷な場所で、聞いている方も無事に終わるかか心配で気が気ではありません。


後半の歌詞は王維の「惜別」


下馬飲君酒

問君何所之

君言不得意

歸臥南山陲

但去莫復問

白雲無盡時


中国の1000年前の詩人が書き、100年前のオーストリアが作曲し、日本人が現在聞いていて何の違和感もなく感情移入できる。そこが不思議です。曲最後のEwig... ewig...は原詩の気持ちをとてもよく表していように思います。


中国語もドイツ語も分からないけれど直感的に。易の世界です。



更新日2020年6月13日


沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ


然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ


而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ


所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ


看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ


更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ


是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン


糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ


沖縄県民斯ク戦ヘリ


県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


海軍中将 大田 實


英訳

"Regarding the actual situation of Okinawa citizens, the prefecturalgovernor has already lost communication means, although the prefecturalgovernor should report the authority, the 32nd Army Headquarters seemsnot to have such a margin as well. Although it was not requested fromthe prefectural governor to the Navy Headquarters, it is impossible tooverlook the current situation as it is, so I will inform you of thegovernor urgently. Since the enemy began to attack on the main island ofOkinawa, the Army and the Army devoted themselves to defensive warfareand could hardly look back on the prefecture's people. Regardless, as faras I can tell, the prefectural people applied for defense convocation allthe young people and the senior citizens altogether.


The old man, the child, the woman who was left are gone because no onedepends on themselves, and all the houses and wealth have been burnedall by the bombing of successive enemies, just the arrival of clothes, thedisturbance of the military strategy It evacuates to a narrow air defenseshelter in a place that does not become, and barely avoids bombardmentwhile still being exposed to the weather while being exposed to thepoverty. Young women take the initiative to devote themselves to themilitary, even to nurses and cooks, as well as those who offer cannonballsand even slaughtering troops.


If the enemy comes, the old child will be killed, and since the woman willbe taken away to the enemy's territory and put on the poisonous thing, Iwill decide to separate and live away my daughter at the military gateThere are also parents.


Nurses continue to nurse seriously injured people who can not depend onwho the sanitary left behind during the movement of the military. Thatsituation is very serious and I do not believe it was a very temporaryfeeling. Furthermore, when the strategy of the military changesdrastically, they are ordered to relocate to a distant place far away withinthat night, people without transport means are walking in the rain withoutcomplaints . In the end, despite consistent efforts for labor service andgoods conservation all the time since the naval forces in and out ofOkinawa, just as a Japanese while unconsciously holding the thoughts ofthe loyalty, (unreadable part) can't finally giving(unreadable part) OkinawaIsland together with the outcome of this battle and destiny together, itwill become a scorched soy that no one plants will remain .


It is said that food is already in full condition only in June. The Okinawacitizens fought in this way. I would like you to give the prefectural peoplespecial consideration, this day forward".


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 付け加える言葉は、なにもございません。

 強いて言えば、英語から元の日本文に戻すのはとても無理のように思います。言葉の品格を訳すのはとても難しいのです。

 また、最後の県知事としてその事績を忘れてはならないのは島田叡氏です。「1950年沖縄群島要覧」に戦争中の知事でありながらも写真付きで紹介されております。ともに語るべきことは多けれども言葉が足りません。


更新日2020年6月7日


 何か迷うことがあったら易を立てます。天地山澤水火風雷と神々、多くの魂、魑魅魍魎に尋ねます。出てきた漢字の解には老子道徳経を用いてイメージを補います。一度だけの反応が全てです。

 

漢字という象形文字に込められた多くの民族の祖先の思いが更なる助けになります。この時ほど漢字文化圏に生まれてよかったと思うときはありません。「老子眼蔵;」伊福部隆彦 著; 出版者: 同文館は名著です、この再版にとても助けられましたが、手に入れようとすると、今ではとても高価になってしまいました。図書館などを探せばあると思います。この伊福部隆彦という方は、作曲家の伊福部昭さんと何か関係があるのでしょうか。ともかく品格のある文章です。



更新日2020年6月2日


 私の家ではカメラの3脚の上に自転車の前輪をフロントフォークごと逆さに差し込んだものを結界として使っています。時々通行人に何なのか尋ねられます。よくマニ車ですと答えるのですが、実はこれは現代美術の旗手マルセル・デュシャンの「自転車の車輪」によく似たものです。

 

 最初は、いらない三脚と自転車の部品を組み合わせて面白がって作ったのですが、近所の子供が喜ぶものでいくつか作ってあげました。やはり回転するものに興味を覚えるのは世界共通なのでしょう。私の場合デュシャンを知っていたから作ったというよりも、廃物の中から自然に出てきた訳の分からないものという感じです。自然界には回転体は存在しないが、極大の天体と極小の原子は、回転体であるという不思議があります。デュシャンはわざと奇異なことをやっているのではなく、自然に導かれているところもあるように思っています。



更新日2020年6月1日


 最初のうちは更新も頻繁にやる気になります。当HPの詳細>九品和歌で、世の中には、よろず物事を9段階に分けることが多いことを書きました。私は映画や音楽を好みますため、よく、世界映画100選とか世界名曲100曲集などあると気になって調べます。よくできた順番に並んでいたり、良い出来のが羅列してあるなどしてありますが、出来不出来の段階別に区分けしてあるものは見たことがありません。


 たまに星印で出来具合が記されてあっても、ただの人気投票だったりしてそれほど信頼できそうなものではありません。やはり、芸術を機械的に点数をつけて分類するのは困難とあきらめるしかないのでしょうか。

 

ところが、20世紀を代表する社会学者ピエール・プルデューが趣味を文化資本とみて計量化する考え方を提起しました。難しめでエスプリに満ちた洒落た音楽を上位に、大衆受けして俗っぽいのを下位に置いたのです。

 

 元々世間では暗黙の了解のもと、そのような差別があるのは薄々感づいていたのですが、学術的に明るみだされるとなにか落ち着かなくなったのです。

 

 プルデューはフランス人で知識階級の人ですから、引き合いにだしたのはいわゆるクラシック音楽です。ですからその方面に趣味の無い人には何が何やら分かりません。福助と狸と招き猫の文化資本の差みたいなものです。


 九品和歌は純粋に歌の出来不出来を例示しただけでした。ところが文化資本という考え方は、ある人物の全人的持ち点を計算する手立てとなるのです。ですからもうこれからは人前で趣味の話はうかつに出来なくなったのです。高級な音楽が好きだといえば持ち点があがるけれど、何が高級なのかはよく分かりません。正直に好き嫌いをいうと自分の価値が値踏みされてしまいます。ですから高級趣味番付のような情報が販売されるようになるのです。



更新日2020年5月29日


 随身も、弦打して、絶えず声づくれ。「源氏物語夕顔の巻」にあります。平安時代悪霊や疫病退散のまじないとして弓の弦を大きな音で打ち鳴らすことがしばしば行われました。当時の人々は弓弦打ちの音を聞いて大層心強く思ったようです。


 今日の昼新宿の空をブルーインパルスが編隊飛行をしました。コロナ治療の病院関係者の苦労を感謝しねぎらうとのことでした。昼休み多くの職員達は庭に出て快晴の空を見上げております。遥か彼方から戦闘機の編隊が白い航跡を引きながら近づいてきました、爆音が後からついてきます。普段はうるさいはずのジェットエンジンの音が心頼もしく響きます。


 ここで弓弦打ちの意味がやっと分かりました。まじない事と思うなかれコロナはきっと終息するでしょう。



更新日2020年5月27日


このHPを作るにあたり、情報通信の知識が皆無なため、できたのは段ボールハウスみたいなものになりましたが、まあ仕方ないでしょう。私の友人は貧乏な人が多いです。貧乏が貧乏を呼んでますます人生がうまくいかなくなってきます。


 何か力になれないかとこのようなサイトをつくりました。昔タケノコ生活という言葉がありました。タケノコのよう身の回りをはいで売り食いしていくのです。いつかは行き詰まるのですが、少しでも息が継げればよいのです。このサイトはいつかそのようなたたき売りサイトになるかもしれません。


 今日は戦争前は海軍記念日というおめでたい日でした。日露戦争で日本海海戦を奇跡的な勝利を海軍が収めて、戦争の帰趨があらかた決まった日なのです。

 

勝ったからよいのかどうかなんともいえませんが、それが日本の転落の始まりでもありました。その時の軍艦三笠が今でも横須賀にそのまま残っています。普段は本日の日中艦上式典を行うのですが今年は疫病蔓延の為やらないでしょう。


 今でもカメラの上面を軍艦部ということがあります。戦艦三笠の写真を見てくれれば分かりますが平べったい甲板に前後に丸いローレット形の大砲があり、真ん中は弁当箱のような艦橋が鎮座しています。これが古いカメラ(バルナックライカで検索してください)と似ているように見えたから言われるようになったのです。


 さて最初のページでも書いたように戦艦大和は悲しい顔をしていると思うのですが、戦艦三笠は明るい顔をしているのです。英国製だからなのか、戦争に勝ったからなのか分かりません。太宰治が「平家は明るい、明るさは滅びの姿だ」と不吉なことを申しました。明るくても暗くても結局滅びましたから検証はできません。まあ最初はよかったといえるでしょう。


 日本のカメラ業界はその後バルナックライカを忠実に模倣して粗悪なカメラを沢山作っていましたが、やがて技術も向上しカメラ大国となったのです。やはり明るいデザインが勝ったのです。もし日本独自デザインの戦艦大和みたいなカメラを作っていたらどうなっていたでしょうか。


 「ニコンF」は少し悲し気ですが、どのみちいまでは黄昏たカメラ業界にはどちらでもよいことでしょう。しかし悲しいデザインは黄昏のもとだということを証明しないとなりません。


悲し気な佇まいのモーターサイクルに見えます。


写真出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』