黄昏デザイン研究所

 滅びゆくもの、そのかたちとこころを慈しむ任意団体団体です。

 現在会員は研究所長と研究員2名で活動しております。

 特に情報技術から取り残された人たちのよりどころとしての何かお役に立てれば幸いです。

 黄昏に至るには美しい朝と充実した昼がないといけません。

 三国志や水滸伝などの心躍る物語には、名もない人々が徐々に集まって大業を築きあげ、やがて破滅して何も残らない様が描かれています。
 
個人の人生においても同じことで無から出でて青春朱夏白秋と時は過ぎゆき最後は無に帰します。

 様々な事象の黄昏の姿において何か見るべきものがあるのかを探すのが当研究所の目的でもあります。


 
ご意見、お問い合わせなどは下記にメールを願います。
tasogare@kumazawa.tokyo

本年もよろしくお願いします。
2021.1.02

花の店クマサワ
〒104-0061
東京都中央区銀座7丁目13の1 松沢ビル1F 熊澤良一
電話: 03-3545-9082
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浅川書店
東京国公
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Altissimo アルテッシモ イタリア語でとても大きいという意味です。 イギリス/1967年 つるバラ
大輪/中香/四季咲き/300cm

ビロード質緋色の花です。一重咲きで花持ちがよく四季咲き耐病性も高く、また極めて強健な株ですが、とげも強靭で曲げるのが難しく大きなスペースを必要とします。この写真は、50cmの鉢植えです。東向き半日の日照でも問題なく花をつけます。初めて買ったバラで、地植えにしたり鉢に入れたりしてますが元気そのものです。
2022年10月19日


お知らせ

2022年10月2日に新宿区戸山ガーデニングサポーターの会というWebサイトを立ち上げましたが、サブドメインのため、グーグルからの認識が遅れていて、ここにリンクされてきてしまうことがあります。お手数ですが、その場合には、上記リンクで再度試みてください。


初めに
研究所所長の熊澤建治と申します。ホームページに付き物な映像、広告などはオリジナルで有益と私が認めたもの以外はできるだけ掲載いたしません。
 画像など必要な方はヒントを貼付しますので、各自確認してください。

 また、できるだけWebページ上で紹介されない事項を紹介したいです。
 記載された事項は、私が直接伝聞又は実見したものですが、その真実性の担保はありません。
 更に個人の経験ですのでそれなりの思い入れによる偏りがあると考えてください。
 
 元々労働組合の宣伝として公開を目指しておりましたが、公務員の労働組合運動は、タダ乗り論(入っても入らなくても結果は同じだから、組合費を払って色々な労働運動に駆り出されるのは御免だ。)を否定できかねることもあり、もはやこれまでと思い、その始末記を綴る方がまだ益があると思いました。

 私の立場は社会主義を基調としておりますが、特定の政党は支持しておりませんし、特定の社会運動にも組みしておりません。
 更に無政府主義も否定するものではありませんが、民族主義にも同情的であります。

 現在原子力緊急事態が続いている中で更にコロナウィルスによる疫病が蔓延して、若年者から老人まで満遍なく危険が迫っています。
 
 そのような社会に生きる私たちにとって、まるで関係ないような戦艦大和についてのお話から始めます。この不幸な軍艦については、日本において不思議な人気があり、大和ミュージアムという模型を展示した博物館までもが大層な観客を集めています。いままで小説や漫画や映画で話題になったものは枚挙にいとまがないほどです。
 
 私も子供の頃プラモデルを作ったことがありましたが、当時(昭和30〜40年代)は戦艦大和といえば世界の三大バカの一つと言われ、現在のように、散華(亡くなった戦士たちへの敬意からこの古風な言葉を使わせていただきます。)された生霊への敬慕と哀悼の念は少なかったように思います。この戦艦大和沈没の原因となった沖縄水上特攻がどのように評価される作戦であるかは、軍事に暗い私には分かりません。しかし、実行すれば凄絶な悲劇を引き起こすことが間違いないことは、誰にでも分かります。その有様は民族の叙事詩となって現在に伝えられ、日本人の心情に何等かの影響を与え続けていると思います。

 以上の経緯については、沢山の書籍がありますのでそちらにまかせるとして、私が子供の頃から不思議に思っていたのは、戦艦大和のフォルムのもつ悲しさです。当時最強と言われた軍艦がなぜあのような悲し気な佇まいを見せているのか、国の守り拠り所となる黒鉄の堅艦が十字架上のイエス様のように見えるのはどうしてなのでしょうか。

 私は晩年に至ってもどうしても分かりませんでした。労働組合(公務員は職員組合という。)などに首を突っ込んでいると、一筋縄ではいかない人たちと関わらざるを得ません。そして蹌踉として日常の定型業務をこなしているうちにあっという間に時が過ぎ老耄老残の身となってしまうのです。。

 さて、戦艦大和の乗組員は、最後の出撃で自分たちが生きては帰れないことが分かっていました。有力な背景があるものや卑怯者は何とか逃げ出したことでしょう。また、若すぎるなど死なすのを哀れと思って事前に任務を解かれた人もいたようです。

 出撃した乗組員達は、もはや死地に向かうしかありませんでした、当時の帝国海軍の軍人、それも旗艦乗務の人々はエリート中のエリートだったはずです、それを数千人海の藻屑としてしまう作戦がこれからはじまり、自分たちはその当事者となったのです。その人達の気持ちは到底私の考え及ぶところではありません。
 一つだけ思い至ることは、それほど悪い死に方ではないのではないか。一緒に死んでも悔いはないような人が周りにいたはずだったのではないかと信じております。
 戦艦大和を建艦したときは、設計者達は、最後にこのようなことなるとは思っていなかったでしょう。それなのにそれを予見したようなデザインができてしまった。そして平然と数千人をみすみす殺してしまうような国家があったということです。

 私は日本国は戦艦大和とともに沈没したと思っています。昔親しくしていた渤海国と同じです。それを伝えたいため黄昏デザイン研究所を設立したのです。

 最後に、このサイトの開設にあたり、中国宋時代の文天祥という悲劇の政治家の残した「正気の歌」に大きな影響を受けたことを記します。

天地有正氣 雜然賦流形  天地に正気有り 雑然として流形を賦く
下則爲河嶽 上則爲日星  下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る
於人曰浩然 沛乎塞蒼冥  人に於ては浩然と曰い 沛乎として蒼冥に塞つ
皇路當C夷 含和吐明庭 皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く
時窮節乃見 一一垂丹  時窮すれば節乃ち見れ 一一丹青に垂る
在齊太史簡 在晉董狐筆  斉に在りては太史の簡 晋に在りては董狐の筆
在秦張良椎 在漢蘇武節   秦に在りては張良の椎 漢に在りては蘇武の節
爲嚴將軍頭 爲kei侍中血 厳将軍の頭と為り kei侍中の血と為る
(keiは禾偏に犬を書いてその下に山)
爲張ki陽齒 爲顏常山舌    張ki陽の歯と為り 顔常山の舌と為る
或爲遼東帽 C操児u雪   或いは遼東の帽と為り 清操氷雪よりも獅オ
或爲出師表 鬼神泣壯烈   或いは出師の表と為り 鬼神も壮烈に泣く
或爲渡江楫 慷慨呑胡羯   或いは江を渡る楫と為り 慷慨胡羯を呑む
或爲撃賊笏 逆豎頭破裂   或いは賊を撃つ笏と為り 逆豎の頭破れ裂く
是氣所磅haku凛烈萬古存  是の気の磅hakuする所 凛烈として万古に存す
(hakuは石偏に薄)
當其貫日月 生死安足論   其の日月を貫くに当っては 生死安んぞ論ずる
                                に足らん
地維頼以立 天柱頼以尊   地維は頼って以って立ち 天柱は頼って以って尊し
三綱實係命 道義爲之根   三綱 実に命に係り 道義 之が根と為る
嗟予遘陽九 隷也實不力    嗟予陽九に遘い 隷や実に力めず
楚囚纓其冠 傳車送窮北   楚囚其の冠を纓し 伝車窮北に送らる
鼎kaku甘如飴 求之不可得  鼎kaku甘きこと飴の如きも 之を求めて得可から
(kakuは金偏に草冠の下に隹と又)                      ず
陰房闃鬼火 春院hi天K     陰房鬼火闃として春院 天の黒さに?ざさる
牛驥同一p 鷄棲鳳凰食   牛驥 一pを同じうし 鶏棲に鳳凰食らう
一朝蒙霧露 分作溝中瘠   一朝霧露を蒙らば 分として溝中の瘠と作らん
如此再寒暑 百rei自辟易   此如くして寒暑を再びす 百rei自ら辟易す
(reiは珍の偏をさんずいに変えた文字) 
嗟哉沮洳場 爲我安樂國   嗟しい哉沮洳の場の 我が安楽国と為る
豈有他繆巧 陰陽不能賊   豈に他の繆巧有らんや 陰陽も賊なう不能ず
顧此耿耿在 仰視浮雲白   顧れば此の耿耿として在り 仰いで浮雲の白きを視
                                る
悠悠我心悲 蒼天曷有極悠  悠として我が心悲しむ 蒼天曷んぞ極まり有らん
哲人日已遠 典刑在夙昔     哲人日に已に遠く 典刑 夙昔に在り
風簷展書讀 古道照顏色     風簷書を展べて読めば 古道 顔色を照らす

出典ウィキソース