2022年6月2日 |
憲法改悪反対というスローガンは、よく組合運動で耳にする言葉ですが、大抵戦争放棄と基本的人権擁護に関わる部分を変えることに反対しています。 戦争したいから変えたい側の人々は憲法改正と言っております。元々、憲法は敗戦によって旧帝国憲法から大幅に変わりました。そもそも国家存亡の危機になれば、国家は法律などかまってはいられません。 また卑近な例ですが、自分が生命の危機に瀕すれば法律をいちいち考えて行動しないのと同じことです。こちらは真綿で首を絞めるような改正はしないでねと言ってるのですが、向こうは、そのうち紐で締められるけど、真綿の方がまだ楽ですよと返されているみたいなものです。 この問題も個人個人で意見が異なり労働組合では一致した対応が難しいのです。戦艦を奪っても団結して戦えと檄を飛ばしているのに、国民が団結して外敵と戦うのはいけないというのは自家撞着みたいな気もするし、だからといって戦争賛成とはいえません。 この問題については、組合活動華やかなりし昭和の頃、再軍備議論などがあった際、軍備拡張論者はよく戸締り論というのを主唱しました、泥棒が入るから戸締りが必要だ、個人の家も国家も同じ事で、だから軍隊が鍵の役目を果たすのだということでした。個人と国家を同じものとして考えていることがそもそもおかしいのですが、一般の人には説得力のある言葉です。 ですが、個人の安全を自己責任で守るとすると必要となる国民の武装については一言も言及しませんでした。スイスのように国民総武装の平和維持ということは選択肢にはなかったのです。つまり刀狩の思想とでもいうのでしょうか。 反戦にはキリスト教の一派のドゥホボール教徒の行いが参考になるでしょう。私は人類を救う道であると思いますが、皆の賛同を得るのは難しいと思います。なぜなら記するのも恐ろしい十字軍の歴史は今も途切れずに続いているからなのです。 |