黄昏デザイン研究所
グラマラス ラッフル
GlamorousRuffle2014年 オランダ インタープランツ
FL フロリバンダ
ローズ赤
丸弁咲き
中大輪
微香 ティー
四季咲き 樹高 1.2m
8号駄温南向き
最近買ったものですのでまだはっきりと性質は分かりませんが派手な品種です。

I GING Textund Materialien
von RichardWilhelm(Ubersetzer)
易経講話(全5巻)
公田 連太郎 (著)
易経〈上・下〉 (岩波文庫) 文庫
高田 眞治 (翻訳),後藤 基巳 (翻訳)
他は読まない方がいいかもしれません
易は統計か
2022年6月2日
私が易に興味を持ったのは、20歳の頃でした。易経と呼ばれる四書五経という中国古典の由緒ある書籍と町の占い師が竹の棒を用いて行う怪しげな占いが深い関係があることに興味を持ったからです。中国の文化はアジアの背骨のようなもので、日本や韓国などの国の考え方や行動に深い影響を与えていると思います。
特に易については西洋にもオカルト的な波及をしたこともあって何か異教の怪しげな巫術というような捉え方もされています。西洋の易の受容についてはリヒャルト・ヴィルヘルムの独訳された易を知ったことにより大きな変化が生じたといえるでしょう。
逆に我が国では、一般には旧態依然の巫術に等しい占いの一部としてとらえられていたようです。そうはいっても戦前の知識階級には、咸臨丸の命名にもあるがごとく易出典の語彙が共通のイメージを持つ言葉としても存在しておりました。しかし現在では易に現れた言葉はもう私たちにとっては失われたものと考えてもよいと思います。
ウェブサイトを見ると易を使った占いのサイトを多く見ることができます。なかでも興味深いのは、私の易は統計だというキーワードが見られることです。統計学は、あらゆる学問のツールとして認められた手段であると皆が認めていることが前提ですが、それが正しく使われないとどうなるのかという検証はされておりません。
占いは当たるも八卦当たらぬも八卦などと根拠の不確かなものとして多くの人が認識している訳です。その異質なものを結び付けて自分の占いが真実性のあるものだという宣伝に利用している訳です。
易経とは長い中国文化史の中で人間が対処しなければならない事象を経験則をもって64種類に分け、それに対応する方法を哲学的に記述したものですから、統計学と全く違うとまでは言えないと思います。しかしその事象が特定の人物に対して未来にわたって起きるということは全く分からないのです。したがって易経の原典を読むと、ど64の事象を表す言葉のどれを誰にあててもいいようにできています。それが前述の当たるも八卦当たらぬも八卦の語源でもあります。占いとは科学的根拠のない未来予想ですので、特定の人物の未来と易の託宣を竹の棒の操作で結びつけることは何の相関も因果関係もないことです。
そのような怪しげなものがなぜ3000年以上も世界中で話題となっているのでしょうか。そこに最大の謎があります。
おそらくは、イメージを喚起する言葉の魅力でしょう、それによる連想を膨らませるなかで、自分の陥っている困難を乗り越える知恵が出てくるような気持になるのです。
易占いの基本は自分自身で自分を観察すること、万一他人を占った場合は報酬を取ってはいけないことが基本です。一種の宗教に近いものですが、正しく行えば害にはならず、かえって行動の指針となることもあると思います。ただし大きな想像力と経験、更に清らかな精神が必要となる作業ができないと結果が汚れます。
あらためて易については記したいと思います。