2022年6月2日 |
未来の図書館はどのようになるのでしょう。私は縁があって公務員生活のうち10年を越える年月を図書館で過ごしました。元々本は好きでしたから構わないのですが、非主流派ということは否めませんでした。 もう30年以上前になりますが、インターネットの原型がアメリカで実用化しつつあり、図書館のような情報の取りまとめを行う機関にとっては革命的な変化が生じるのではないかと話題になりました。 図書館の歴史は、言語によって著された知の集積ということで現在まで続いてきております。それは、紙であるものが電子可読式の媒体に変化していっても根本的には変わりませんでした。 最近になって、音声や映像という異なる形態の資料が増えてきたという変化が見られますが、基本的には言語によって人類の知を保存提供する役割であることに変わりはありません。提供の方法が徐々に変化してきているということはありますが。しかし、加速度的な技術の進歩により、機械と人間との意思疎通が、言語によらない、もっと直接的なインターフェイスによって行われるようになるのではないかと想像できます。 なぜなら、そこが一番の難所、渋滞場所であるからです。これが科学技術によって解決された時、言語はどうなるでしょうか、ローカルな趣味の符丁のようなものになるのかもしれません。そうなった場合図書館の存在はどうなりましょうか、過去の文書等の保管場所兼情報提供の結び目(ノード)の役割を果たすのでしょうか、それほど遠い未来の話ではないと思います。 ひとつ分からないことがあります。SF小説のようですが、人間も含めた生物すべてが持っているまだはっきりと知られていない感情情報があって、言語の障害を取り去ってみるととんでもなく巨大な生物知というようなものが顕現してくるかもしれません。どのように整理すればよいのか全く分かりませんが、限りなく想像力を掻き立てられることです。 図書館といえば思い出すのは中井正一です。国会図書館の理念の基を築いた人です。今となっては当時は甘く感じた、彼の抵抗と挫折と復活の底に流れる美の思想を懐かしく思います。 |