黄昏デザイン研究所

ニュードン
CL クライミング 1930年
繰り返し咲き 半八重カップ咲き
淡いピンク・中輪 8cm
カップ咲き
中香
3m・つる性
地植え日当たり悪し、花付き良し。病気無し。
歴史ある名花で、病気しらずです。
『河上肇全集』第I期全26巻(岩波書店、1982〜84)
 
永田鉄山は著書は無いようですから国会図書館https://www.ndl.go.jp/のサイトから、トップページの虫眼鏡の欄に永田鉄山と入力して下さい、オンラインですぐに読めるものも沢山あります。

河上肇と永田鉄山について


2022年6月2日
 河上肇とは、我が国屈指のマルクス主義経済学者です。人格識見ともに抜群の人で、さらにその文章は慈愛と高雅に満ち、かけがえのないものでしたが、太平洋戦争直後に投獄の疲れで亡くなりました。もし人生でこのような人出会えればとても運が良いと思わなくてはいけません。

 永田鉄山とは、昭和初期の陸軍軍人で、昭和10年陸軍少将時に陸軍の執務室において下僚の相沢中佐に斬殺されました。その後日本は、2.26事件から太平洋戦争への道をたどっていきました。

 彼はエリート軍人として優れた識見があり、国家総動員の主唱者としても有名です。この国家総動員とは、後には忌まわしい思い出しかないのですが、元々は国防のために戦争回避の戦略思想があったようです。今となってはおどろおどろしい語感ですが、内容は、国民皆兵で総力戦を行うということではなく、有事に備えた経済体制と国利民福との兼ね合いを如何につけるかということ、つまるところ非常時はあるものと準備しておかなければならないことをいいたかったのです。

 このまるで接点の無いような二人が大正15年11月に内閣統計講習会で講演を行いました。この時に永田は国家総動員を、河上は社会政策について資本主義経済の持つ本質的悪徳について弁じました。この二人が一緒に国家機関の研修で講演をしていて、20年後には戦争の惨禍により日本は滅亡し、講演者も破滅していった。二人の優秀な頭脳と情熱も総てが烏有に帰したのであります。

 大正時代は近代日本のつかの間の息抜きの意味を含めて大正ロマンなどと言われますが、すでに黄昏ているとしか思えません。